2019年3月10日 (日)

8年前  

facebookの方で引用した8年前に、日経新聞に掲載された姫野カオルコ氏の「聖ヴェロニカの花に祈る」の全文を掲載します。

春はたくさんの花が咲く。
桜が咲きほこるより少し先に、梅が春をまえぶれし、沈丁花が香り、アネモネがおもちゃのような花びらをひろげる。
日本の花の色は白がもっとも多く青は2割だそうだ。
学名をヴェロニカ・ペルシカという、ごく小さな青い花がある。同系統の花がいくつかあり、みなヴェロニカがつく。
その昔、十字架を背負いカルヴァリ丘を歩かれているイエス様を見て思わずかけより、 額の汗をぬぐってさしあげたという婦人の名がついたゴマノハグサ科のこの小さな青い花は、しかし見る人には、もっとのんきな安らかさを与える。
「春の小人がちょこまかちょこまかとやって来たよ」
といったような。
じっさいこの花にはオオイヌノフグリというユーモラスな和名がついている。
北風がようやく温んだころ、おもてに出ると鼻孔に、あきらかに冬とは違う匂いが流れてくることがある。そんなころに、軒先やあぜ道に、オオイヌノフグリが咲いているのを見つける。
じつに春は一年でもっとも美しい季節である。
月日をかけて、肌身でそう感じることができるようになった。
古今東西、春をめでる和歌や詩はあまたある。だがそれらを詠んだ者、綴った者は、そしてそれらに心をよせた者は、みなと言っていいほど年行きの者ではなかろうか。
子どもや若者は春に感じ入らない。
春に花が咲くのはあたりまえだと感じる。然るべし。自分自身がすっぽりと春の中にいるのである。
春が自分の内から去ってはじめて、人は感じ入ることができる。いかに春が美しいかを。
幼きことをよしとするようになったわが国では、春の中にいる者は、年とる日を恐れる。まだ春の中にいるふりをしてじたばたする。
さようにもがかずともよい。大丈夫だよ。
そう悪いものではないのだ、春が過ぎるということは。じつにうまいものなのだ、春に感じ入るときというのは。
桜の木の枝を這う毛虫のたくましさ。くだんのオオイヌノフグリの葉かげに糞をしたイヌの平和。
たとえば、かかる小さなもの、小さなことに感じ入ることができるから、年とった者の日々は、そこらじゅうにたのしさがあるのである。
「ああ、春がまた来た」
そう感じられる幸いは、春を過ごし夏を過ごして来た長々の月日が贈ってくれるものである。
「ああ、春がまた来た」
そうことほぎて見る、日常の、なんのへんてつもないもの。光の中の屋根。雨の中の田畑。曇った道端ですれちがう人の顔。みな愛しく懐かしい。
「春がまた来た」
命あってこそ、春は再訪する。
命ある人が、春を見る。
たいせつなものを、すべて波に呑まれてしまった方々に、どうか、また周りの人たちとほほえみあう日が訪れますように。
ヴェロニカの花の花言葉は、「信頼」「忠実」「有用」。日本のそこかしこにある、この元気な青い花に心から祈りを託します。
                     (以上)

2018年4月11日 (水)

電車の中で・・・  こども二人

久しぶりに電車で外出しました。
空いていた優先席に腰を下ろして何気なく車内を見まわしていました。そこへ、赤ちゃんを抱いた外国の女性がわたしの隣に座りました。

小さな子供を嫌いではないわたしは、ごく自然に、隣りに来た赤ちゃんの方へ眼を向けました。すると、その赤ちゃんも、「あなたはだあれ?」というように、わたしの方へ顔を向けてきました。

赤ちゃんと目が合いました。

その赤ちゃんの目は、うすいコバルトブルー色で反対側へ突き抜けてしまいそうに透明で、わたしは赤ちゃんと目を合わせたものの、一瞬はっとしてしまいました。

でも、その後は、目と目のおしゃべりが始まりました。何か、感じることがあるのか時々その小さな頭をお母さんの胸にぶつけるようにして母親の注意をひいているようでした。そして、何がおかしいのかわたしにもそのかわいい口をあけて笑うのです。小さな口の中にはこれまた小さな桜貝のようなかわいい歯が2本下に見えました。

この赤ちゃんと目の会話をしていて、「どこかで知っている」という何か懐かしい感じがよみがえってきて、なんだろうと思い返したら… あら、あら・・・ この隣りの赤ちゃんは、わたしが幼かったころ近所に住んでいたアメリカ人の牧師さん家族から、ある年のクリスマスにプレゼントで頂いたミルク飲み人形と同じ顔をしていたんだ、とわかりました。

~~
しばらくして、今度は、お母さんと一緒に幼稚園の年長さんぐらいの女の子が電車に乗ってきました。
二人は、駅で電車を待っていた時からやっていたのでしょうか、すぐに「しりとり」を始めました。二人で交互にどんどん言葉が飛び出してくるのに驚きました。この世に生を受けて5年もたつとこんなにたくさんのことばを知っているのか、… 自分が外国語を勉強したとき、5年勉強しても、これほど豊かな語彙はなかったのではないかと思いました。

ときどき、子どもはお母さんが出す言葉の意味が分からないようで、「それってあるの?」と聞きます。

たとえば、お母さんが「かもしか」と言いました。この子はカモシカがわからなかったようです。「かもしかってあるの?」と尋ね、『シカの種類よ』という答えを聞いて「ふうん」とうなづいていました。こうして、一つずつことばが増えていくのでしょうね。

わたしも、すわっている席から二人のしりとりにすっかり引き込まれてしまいました。

「しりとり」、久しぶりにやってみようかな、わたしの日本語の生徒だったらどのぐらいできるかな???

30分ほどの車中は、子どもと一緒の楽しいひとときでした。

2018年2月 6日 (火)

祈りの 「らりるれろ」

     祈 ら ないから  祈れない
     祈 り たいけど  祈れない
     祈 る つもりでも 祈らない
     祈 れ ないから  祈らない
     祈 れ ないなら  祈ろう

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           祈 
 ないなら   祈ろう
           祈 
 たいなら   祈ろう
           祈 
 つもりなら  祈ろう
           祈 
 ないなら   祈ろう
           祈 
 う        祈ろう          

2017年11月12日 (日)

Roots   

先日、自分が生まれた場所の近くを散策する機会がありました。

千代田区永田町です。
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みわたせば、国会議事堂がそびえ、自民党本部あり、衆議院、参議院の議員会館と宿舎・・・と、すっかり《官》の街になっています。

ここで小学校の低学年までを過ごした姉の案内で、ゆっくり、ゆっくり過去の時間を取り戻せるかのように静かな夕暮れの永田町を歩きました。

不思議な気持ちが心に湧いてくるのを感じました。

ここで生まれたにもかかわらず、戦争中のことで強制的に都内疎開させられ、私の家族は杉並区に移りました。私はたぶん、3歳か4歳ぐらいだったのではないかと思います。そんなわけで、永田町は懐かしい思い出として、耳にはよく入ってくる場所でしたが、ほとんど記憶にはない町なのです。

歩いているときに感じた「懐かしい」気持ちはどこからくるんだろう? そして、なぜ懐かしい気持ちになるんだろう?

生まれたときとその後しばらく住んでいた家は、そのあたり一帯、一緒に取り壊されてしまったので「場所」しか探ることが出来ませんでしたが、そこで生活した姉によれば、今歩いているこの細い道、角、角と曲っているようすは、当時のままだと言います。

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「この両脇におもちゃ屋さんや駄菓子屋さんが並んでいたのよ」
「あのちょっと上にある日枝神社は、近所の子供たちの遊び場だった・・・」
「ここを流れる水で洗濯ごっこをしてから夕方家に帰った・・・」(と言って、「今だったらずいぶん怖い話ね」と昔ののどかな社会を懐かしんだようす)

これらの言葉を聞きながら歩いていると、確かに、歩いている足元は古いままのコンクリート道、両脇だけが新しい住宅、あるいは空き地、あるいは小さなビルに建て替わっているのですが、姉の声(ことば)が流れるたびに、そこここに「あの時」の情景が重なるように見えるのは何か温かい感じでした。

私の「ふるさと」と言える場所は「ここ」なんだ、としみじみ思いました。

今でこそ《官》の街に変わっていますが、私が生まれたころは、ごくごく普通のいわゆるしもた屋が立ち並ぶ落ち着いた「東京」だったにちがいないと思いました。           (正面の白い建物があるところが《我が家》だったそうです)

Rootsを歩いて感じたことは、この不思議な一種の懐かしさを感じさせる気持ちって、多分、私たちの一番のRootsである天国を思うときの気持ちと同じなんだろうなと思いました。

2017年7月 1日 (土)

ショック

自分の心を誰かに見せることができるって、その人は幸せだと思います。

まだほんの子供だった頃に、家に来ていたお手伝いさんが、妹が何の理由か忘れましたが、大声で泣いていた時に、ふっと、誰にともなく漏らした言葉: 「人の前であんなに泣けるなんて幸せね」

どういうわけか、このお手伝いさんの漏らした一言は、私の心の中にまっすぐ入ってきました。そして、何十年もそのまま居座っています。時折、この言葉の真実さをちらつかせながら…

ここまで大声で泣きわめかなくても、私たちも時には涙が出るままにしたいことがある、あるいは、心からあふれそうになっていることを自然にあふれるままに出したい…と思うことがあります。

B_star

つい、最近のこと、持病の症状に新しい症状が出てしまいました。

ショック! でした。

しばらく、薬のコントロールがとてもうまくいっていて、病気のことなんか忘れて何でもできるように思っていたのです。でも、同時に、この良い時期が長引くにつれて、皮肉なことに私の中に一つの「恐れ」も芽生えていたのも事実です。

この良い状態が「治癒」には結びつかないことは厳然とした事実だからです。ですから、「いつかまた、欲しくない状態に戻るんじゃないか、あるいは、その時にはもう一段進んでしまった状態として私にあいさつするんじゃないか」という危惧、おそれでした。

コントロールがうまくいかないときのいわゆる「オフ状態」はとても疲れさせます。身体だけでなく精神的にもとても疲れさせるので、いつまでたってもうまく受け入れることができません。

この間の火曜日。

しばらく前から感じていた体の内部の違和感がついに外に出てしまったようです。その症状を前にして、「来るものが来たのかな?」と冷静に受け止めようとしながらも、ショックでした。

症状そのものからくる疲労にも久しぶりにつぶされそうになりました。2日間、やれ、やれ。

でも、こうやって心のうちを吐露することで私の心はすこしさっぱりしました。

雨上がりの池に浮いた蓮の葉に水滴がコロコロと光っているのが見えます。いまの私の「ショック」をあんなかわいい水滴に見立てて、神さまにお捧げしたい。

Angel

2017年6月 6日 (火)

どうして?

どうして、こんなに日にちの過ぎるのが早いのかな?

その日、その日を時計の針の上に乗っかっているみたい
時計の針は 無常に チクタク チクタク と時を刻みながら動いている

そして、わたしも チクタク チクタク と動いているのか。。。

朝、目を覚まして 「あ、主よ。今日も一日を与えてくださってありがとうございます。」と祈り、その日を主にお捧げします。

夜、寝る前には、「主よ、今日も一日過ごさせてくださってありがとうございます。」と感謝し、夜の眠りを主にお捧げします。

B_heart ミッションの地から休みに帰ってきた姉妹、仕事で立ち寄ったフランスからの若い姉妹、それぞれを受け入れて新しい空気が共同体に吹き込まれました。

また、もうじき若い会員姉妹が短期ミッションで日本に来ます。

あぁ、やっぱり・・・チクタク チクタク 毎日動いてるんですね。

2017年4月20日 (木)

卵一個の親孝行

3週間ほど前のことだったと思います。友人が近いうちにベトナムへ行くことを知った一人の若いベトナム人女性が、私のところに連絡してきました。

「そのお友だちに、お願いしてもいいですか?お母さんと妹に薬を届けたいのです。」

 

薬と聞いて、断る理由もないと思ったので、他人のことではありましたが引き受けました。そして、つい23日前「全部準備ができたので届けたいです」と言って私のところへやってきました。私が想像していたよりもたくさんの薬で、ちょっとびっくりしましたが…そして、「このような薬ならベトナムにもあるでしょう?」ときいたところ、「日本の薬がよいのです」という返事。

 

薬局へ行くたびに、支払額が多い(薬は高い!)のを知っていた私は、つい「こんなに買って、高かったでしょう?」と余計なことを聞いてしまいました。彼女はわるびれたようすもなく、「はい。今、私はお金が無くなりました。毎日卵を食べています」という返事。

 

私は「え?」と考えて意味が分かりませんでした、「毎日卵を食べている」ということが。

 

彼女が説明してくれました。

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「私は、今お金が無くなりました。だから、毎日卵を食べています。卵は1パック100円とちょっとです。1個は大体10円ですから安いです。」

 

病弱の母親と病気の妹のために薬を買ってあげたい一心で、毎日10円とちょっとの食事でお金を貯めていたことを知った私は、言葉を失いました。

 

「母はいつも痛いです」と言って張り薬を見せてくれ、「とても痛いときはこの薬を飲みます」と言って錠剤入りの瓶を見せてくれました。ガラスの瓶は重いし、旅行中に壊れるかもしれないからとチャック付きのビニールの袋に入れ替えました。

 

このようにして、家族に愛のしるしであるくすりを届けられることが、彼女にとってどんなに嬉しいことなのか、袋に詰め替える動作をみたり、手伝ったりしているときその喜びと感謝が私にも十分伝わってきました。

 

毎日、卵1個の親孝行娘のことば:

「私は幸せ者です。神様に愛されていますね。」

2017年3月 2日 (木)

映画 「海は燃えている」 を観て

あと2,3日でロードショーが終わりそう、と聞いて、「観たいな」と思っていた映画「海は燃えている」を見に行ってきました。
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地味な映画、というのが私の最初の印象でした。でも、映像はイタリア最南端の島が舞台だけあって自然も美しく心和むやさしく私たちを包んでくれるようでした。

この映像と、「難民」とどう結びつくのかなと思うほど,観客の目に入ってくる映像はのどかな印象をを与えます。

観ていくうちに心はだんだん深みにはまっていくのを感じてきます。

同じ海。同じ島。そこに平和と悲劇が共存しているのがわかります。私たちの住んでいる社会も同じです。
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『ぼくたちは生きている。悲劇のすぐそばで。』

映画の中にちりばめられているいろいろなな伏線にも心奪われます。 =美しい海。大きな海原を命がけで渡ってくる難民・移民のボート。島の生活と難民たちの悲劇は全くきりはなされているかのように見える。そこに、たった一人の医師が彼ら双方を結んでいる姿として登場する、しかも、彼の日常生活として。

ある日、主人公のサムエレ君は左目が弱視であることがわかる。治療のために見える方の右目に矯正眼鏡を掛けさせられる。

医師は問いかける:「何か見えるようになったかな?」
サムエレ君は答える:「はい、ぼんやりと見えるようになりました」

左目の視力をあげるための矯正眼鏡だった。そのメガネのお陰で、今まで右の目でしか見えていなかった世界が、その矯正眼鏡のお陰で、今まで自分が知らなかった世界を見るようになった。

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この個所は私に聖書の箇所を思い出させました。聖書にはいろいろな箇所で「見えるようになりたい」人々の祈りが描かれています。今回はマルコ8章のところが思い浮かびました。

イエスの癒しのお陰で少しずつ見えるようになっていく盲人の歩み。

「イエスがもう一度両手をその目に当てられるとよく見えてきて癒されなんでもはっきり見えるようになった」(Mc.8/25)

わたしたちが見ないもの、見えないものでなく見えるものになれますように。

「主よ、見えるようにしてください。見えるようになりたいのです。」

2017年2月 8日 (水)

いのち

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)   と、イエスはおっしゃり続ける。

わたしにとっても、このみ言葉は子どもの時から聞いていて、とても心惹かれるみことばだったけど、1996年のミルポア(南フランス)のカテドラルでのミサで聞こえた主の御声は消えない。

わたしの命:この一秒、一分、一時間、一日・・・を友のために捧げる。私は自分で生きている。でも、私のイメージとしては「生きている」というのはそこに、例えばろうそくがあって、そのろうそくに火が灯っている。Candles84_n

私(ろうそく)は炎をあげてまわりを照らし、あたためている。ろうそくはろうそくのために炎を燃やさない。

炎のほのかな光はまわりを照らす。もしかしたら、ほんの少しの暖を与えてくれるかもしれない。そして、炎によって溶けていく蝋は、小さくなり、ついに消えていく。

このろうそくのイメージが、私が「友のために」の「命」と重なる。

朝起きて、十字を切り、主に今日一日をゆだねお捧げする。

その時が、もしかしたら、マッチを擦ってろうそくに火をつけるということかな?

一日中、静かにゆらゆらと燃えてあたりを照らし、あたためていることもあれば、ふっと通り過ぎる風で炎が消えそうになることもある。    恐い! と一瞬思う。

そして、一日が終わり、感謝し、夜の間の私の霊を御父にゆだねる。

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いろいろなことを、黙って、何事もなかったように受け流して生きていけるといいな。

痛いとき、だるいとき、疲れているとき、・・・・こういう時の炎の形ってどんなんだろう。

主よ、今日も共にいてください。
B_heart

2017年1月 6日 (金)

寂しいのか・・・ 静かなのか・・・

まいとし、お正月を迎えるたびに なんともつらそうな声を思い出します。

仕事場(会社・工場)は休みに入り、学校も行かない。何となく手持無沙汰で家の中にごろごろとしているベトナム人たちの  

「日本の正月は さびしいね」

という言葉です。

ベトナムでは、お正月は準備の段階からにぎやかですね。これは少し前の日本でも同じ空気が流れていたと思います。

ひとたび、元日の朝を迎えると空気は一変するように感じます。日本(特に私は東京しか知らないのですが)では、町の中はし~んと静かです。それが、ベトナムの(特にホーチミン市だったら)町だったら、玄関を開けたら まるで「飛び込んで」来るような勢いでバイクの走る音、車の音、物売りの人たちの大きな声が耳に入ってきます。

「日本の正月はさびしいね」というベトナム人に、わたしは ベトナムの喧騒を頭に置きながら、「あのね、これは、静かっていうのよ」と言い、

「ベトナムの正月は楽しいよ」というベトナム人に、私は同じようにベトナムの喧騒を頭に置きながら、「あのね、あれは、うるさいって言うのよ」と言いながら、

故郷を離れて、その国の人たちが異国で味わう「祭り」の持つ意味の深さと重さを今になって理解できるようになったのかな、と思いました。

「静かすぎるよ~~。寂しいなあ、日本の正月は!」

この言葉の後ろに、彼らの暖かい家庭・家族を垣間見ることができるようになりました。

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