2024年2月27日 (火)

年寄りの気晴らしに

今朝、私と並んで歩いていた青年が落ちていた1枚の紙きれを拾いました。彼はその紙きれを一瞥すると、私に渡してさっさと前を歩き出しました。私は、わたされた紙きれを見る、というか読むために立ち止まらなければなりませんでした。他の歩行者の迷惑にならないように、比較的客の少ない店の軒先に立ち止まって、先ほどの紙切れをひろげました。

それは別に、私にあてた手紙でもなければ、伝言のようでもなければ、何かを依頼するためのメモのようでもなさそうでした。

紙に大きな字で {もし、あなたが自分は年寄りだと思っているら、ここに書いてあることは、あなたのために気晴らしになるでしょう}と書いてあるのが気になりました。紙をひろげて読もうとしている私は、《やっぱり私は年寄り》だと思ってるんだ、と少々苦々しく感じながらもう一度その紙を見ながら、ゆっくりとひろげました。

紙の大きさは、”B5” 版”を、もうちょっと正方形にしたような変形です。そして、そこに「透かし」で何匹かの鹿が浮いて見えているのが私の気を引きました。

 

最初に目に入ったことば:「歳をとってくるか、目がかすみ、耳が遠くなりますが、以前よりも人生がよく見えるようになります。肉眼では見えないものが見え、素耳では聞こえないものもあるのです。」

 

目が見えないほど見えることってない、何だか逆説的な言い方ですけど本当だと思いませんか? 経験がありませんか?

私はそんなに長い期間ではありませんでしたし、何回も経験したことがあるわけではありませんが、目が見えなくなると、確かに(触ること、歩くこと集中してくるのを感じます。すると、不思議なことに「今」聞こえている音とか声に色が付き、時には形もかんじられます。

東京近郊の畑がまだたくさん残っているところで、畑仕事をしている女性と手を握り合ったことがあります。第一印象は「ちょっとごわっ」とした感触を自分の手に感じながらも相手の女性の手の[皮膚の]内側に流れている血の温かさがその「ちょっとごわっ」とした手から伝わってきたとき、私は感じました。この人は心の温かい人だなって。

その人の顔はわかりません。でも、見えた気がします。顔は、きっと日焼けしていると思いますが、柔らかい皮膚を感じさせたし、自分の周りを見回すその眼はやさしさ映し出しています。この人と出会って挨拶する人は誰でも、すれちがった後きっと気持ちが良くなったのではないでしょうか。

私は、幸いにも "畑で出会った女性" のようなタイプの友人に恵まれています。彼女たちは、要らないものはもう見ない、聞かない。今までの人生で出会った美しいものを思い出しています。今までの生涯の中に埋もれてしまった美しいことを眺めているのです。そうすれば、力がなくなり、目がかすみ、耳が遠くなり、歩くのも難しくなって、よく考えることもできなくなっても、”だから、私はおしまいだ”とは思いません。

ですから、私もこの友人たちと一緒に希望を持つ力を頂いて、神さまの慈しみを味わっています。

 

2023年12月28日 (木)

不思議な、素敵なクリスマス

 不思議な、素敵なクリスマス

12月11日は、ここPDHaのクリスマス会でした。各階の食堂の壁はきれいに飾られ、クリスマス・ツリーもどきの植木も準備されてガラス玉などがきれいにぶら下げられて、それらしい雰囲気をつくっていました。私の部屋は廊下の突き当たりにあります。そこがちょうど出窓のようなスペースになっていたので、ベトナムから持ち帰ったミニ・馬小屋セットを飾りました。その後、メキシコのセットも届き、それも飾りました。廊下を通る人たちは、それなりに興味を示し、立ち止まり、一言二言、言葉を交わしていくことが増えてきました。

 

当日は午後2時から2階の食堂でクリスマス会が行われるということでしたが、残念ながら、私はベッドの中でした。3階の人たちも2階へ降り、私の周りはシーンとしてきたので、またひと眠りしていました。

 

目が覚めてそっと耳をすませて様子を伺っていたら、なんと! 突然若々しいきれいなコーラス隊がクリスマス・キャロルを、まさに私の部屋の前で歌い始めたのです。

 

「何て気がきいたことをしてくれるのかしら?」と、心はすっかりクリスマス! 本当に嬉しかったです。キャロルもクラシックなものだったので、懐かしい気持ちでいっぱい。

 

「何て素敵なクリスマスなんでしょう!」しばらくきれいな歌声に聞きほれてその中に休んでいました。そのうちに少しずつ頭もはっきりしてきて、突然わかったのです!

 

「この歌声はThe Carpentersだ!」って。

しばらくして歌声は止みました。この歌声は、私が持ち込んだCDの中の1枚 “CARPENTERS’CHRISTMAS COLLECTIONS”からでした。

でも、...                                    

いつ、

だれが、わたしの枕もとにあるCDプレーヤーのボタンを押したのでしょう? 

 

すてきな今年のクリスマスプレゼント

ありがとう、神さま

2023年11月13日 (月)

涙 (その2)

Im_1ages 先回、私は自分の目が見た「美しい涙」につて書いてみました。

今日もまた、先回に劣らず「美しい涙」を目にして感動したので分かち合いたいと思いました。それで、タイトルも同じ「涙」になってしまったので「涙」(その1)と「涙」(その2)にしてみました。

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最近、時期的なせいでしょうか、働く場所での人の動きが気になります。退職する人、新しく仕事を始める人。

今朝、目にした光景は一人の男性職員の目に浮かんだ涙です。

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ある朝のことでした。そこでは、夜勤と日勤の交代が終わり、それぞれがそれぞれの持ち場につこうとざわめいていました。

夜勤の人たちも疲れた顔を笑顔に隠して「お疲れさまでした」とお互いにあいさつを交わして更衣室の方へ姿を消していきました。その中に、ひとり、誰に挨拶するでもなく自分の前を右往左往する人たちを見ているというか眺めている青年がいました。たしか、Yさんという名前で紹介されたと思いIm_4agesます。人の名前を覚えるのが苦手な私ですが、自己紹介した時のYさんの挨拶の 仕方がなんとも言えずユニークでスーッと私の記憶に入って行ったのを感じました。それで、Yさんのことは、彼が他の職員たちと一緒にいるときも、容易に判別出来ていました。

Yさんは、新人として働き始めてから毎日、先輩の後について、自分の仕事を覚えることに熱心でした。少しでも自分の知っていたこと、あるいはやっていたことと違う点があると、小さな手のひらサイズの手帳に熱心に書いていた姿が私にはとても新鮮に映りました。最近、こんな風に熱心な「学びの姿」を見ることが少なかったからでしょうか。

ここの職場では、新しく入ってきた人は少なくと1週間は昼間の仕事を覚えて、それから少しずつ、夜勤の仕事が入って来るんだそうです。

この日の朝は、Yさんは夜勤明けのようでした。でも、どういうわけか他の人たちのように「お疲れさまでした」と言って更衣室入る列に入らずにいました。そのうち、Yさんの顔が変わってきました。昨晩はYさんにとって初めての夜勤だったのです。Yさんは、一晩、いっしょうけんめい働いた後の疲れた顔で、居住者の顔が揃ったにぎやかな食堂をゆっくり見渡していました。そして、終わり頃からYさんの目にうっすらと涙が浮かんでいるのに気がつきました。

若いYさんの目に浮かんだ涙は何だったのでしょう。

単なる夜勤疲れの涙ではないようです。

初めて、一晩中、任された人仕事を無事にやり終えて緊張感から解放され、ほっとした安堵の涙? 

一晩過ごした後の居住者たちの屈託ない明るい朝の笑顔を見たとき、心に張りよつめていた糸が少しゆるんで、そこからあふれた涙?

私自身、居住者の中の一人として、自分が眠りにつく前にいつも、神さまに、これから私たちの代わりに起きていてくれるこの若い人たちを守ってください、と祈っています。

Yさんが見せた今朝のYさんの目に浮かんだ涙は、毎日単調になりがちな私の生活に、忘れたころに蒔かれた種を芽生えさせてくれる大自然の不思議な力と清々しい新鮮さを与えてくれました。

私たちも、自分の生活がいつも変わり映えのしない、単調でつまらない生活だと思っても、その生き方が、自Im_4ages分の気がつかないところで人の心をほっとさせたり、これでよかったんだと安心させたり、やってみようと勇気を与える新しい力になっているんだろうな、と思うと、心の中でクスッと笑ってしまいます。82歳、頑張れ!

2023年10月22日 (日)

涙 (その1)

食堂へ行くために部屋を出て、歩行器を使っていたので足元を見ながらIm_1ages そろそろと廊下を歩いていました。何か気配を感じて目をあげてみたら、私服の女性が小走りでこちらに来るのが目に入りました。さっきまで日勤で働いていた看護士のひとりでしょう。

食堂の入り口で、私服の看護師とまだ勤務中の看護師の一人がお互いに手を取り合い、親しげに何か話している姿が見えました。そう言えば、この制服の看護師は近いうちに退職すると聞いていました。そして、きっと今日がその日、彼女の《退職日》だったのでしょう。

Im_2ages-3 服の看護師が退職する友人の看護師に何か小さな包みを渡していました。二人の前を通り過ぎるときに、私は退職する看護師の目が涙であふれているのが見えました。私が彼女の前を通り過ぎるとき、私も無言で彼女に「元気で頑張ってね」とエールを送ったのですが、その時、彼女はちょっと照れくさそうに、その涙いっぱいの目で私に笑顔の返事を返してくれました。その笑顔の美しかったこと。

私服の友人もプレゼントを渡しながらその場を離れかけましたが、退職する友人の眼は、「涙でいっぱい」にうるんでいました。

私服の友人は、自分の仕事が終わってホッと一息つぃて私服に着かえて帰りかけた時、今日で退職する友人のことを思い出したのだそうです。

それで、急いで戻ってきてと別れの挨拶をすることもできたし、プレゼントを渡すこともできて、本当に嬉しかったです、と私に言ってくれた彼女の目に水晶のような涙を見つけました。

この情景を目にして、若い人たちの中にとても清々としたものを感じました。そして、

二人のあたたかい友情が見せてくれた美しい涙を見て、私も久しぶりに、心の中がほのぼのとしました。

 

 

2023年9月30日 (土)

パーキンソン病と生きる

アメリカの俳優マイケル・J・フォックスは20代の終わりにパーキンソン病になり、『この病気と付き合わねばならな

くて残念です』と言いながらも、同時に、「感謝の心があれば、楽観的な視点を保てると気づいた。感謝していれば、

何か楽しみにすることが見つかる。そして前に進める」と言っていることを知りました

 

彼は、今なお、俳優として活動しながら、パーキンソン病とパーキンソン病患者たちのためにいろいろ活動しています。たとえば、この病気の支援者として、病気の研究と治療法の開発のために多額の寄付を行っています。

 

2000年には、マイケル・J・フォックス財団を設立。パーキンソン病の治療法開発を目指すこの財団は、これまでに15億ドルもの資金を集めました。その努力は実り、ここから資金提供を受けて研究を続けてきた科学者たちは、最近、パーキンソン病の生体指標を発見したと発表しています。

 

少し古いですが(1988)、映画”Back to the Future”を知っていますか? MJフォックスは、この映画の主人公になり、そこで一躍有名になりました。そして、ごく最近(今年2023年の春)には、俳優「マイケル・J・フォックス」の今日に至るまでの軌跡を本人のインタビューと共に辿っていくドキュメンタリー映画 “STILL”を制作。ここではもちろん  マイケルは主人公をつとめていますが、この映画を観た人たちはみな、その主人公、マイケルがひたすら前を向き、未来を信じて病気に立ち向かっている姿には心打たれると言っています。

 

こんなにたくさんのお金を集めることができたのも彼が「俳優だからできたのだ」という声も聞こえます。そうかもしれませんが、必ずしも俳優だからできたのではないと思います。

 

彼は他のところで、「この病気の残酷なところは、徐々に自分らしさを奪っていくことです」とも言っています。彼の本音でしょう。しかし、彼はパーキンソン病という病に 自分らしさを奪うに任せず、かえって、「感謝すること」で前に向かって進む希望と力をもらったのでしょう。

 

私も、毎日この病気の残酷さと向き合っています。そして、時には私の【らしさ】が奪われて行くのを、みすみす見なければならない時があります。病気の残酷さは強力です。そして、私は弱虫です。だから、あえて残酷さと向き合うことをしないで、病気の進むままに、病気と一緒に同方向に目を向けながら病気と一緒に歩くようにしています。病状の悪化はすべてこの中に含まれます。

 

”ひたすら前を向き、未来を信じて病気と共に生きる“

2023年9月28日 (木)

・・・続き・・・

私が ”ここ” に 来て4か月が過ぎようとしています。早いのか遅いのか、その感じは日によって変わります。”ここ”ってどこなの?

ここは、パーキンソン病患者さんのお世話を中心に置いたNursing Home (日本語では老人ホームと訳されていますね、わたしはまだ、この「老人」ということばに抵抗を感じてしまいます)です。

 

生活は全く変わりました。その中でいろいろ考えることがあります。夜もよく夢を見ました。色々感じたこと、見たこと、聞いたことなどを書きとめたらいいのに、それもままならず、時間ばかり早く過ぎて行ってしまったので、これから、今まで書きとめたものなどを拾ってこのブログに載せ

てみようと思いますが、時間の流れに関しては全く順不同ですのであしからず。

2022年10月 5日 (水)

日本の「良いサマリア人」

今年の東京の夏は例年になく暑さに苦しんだ夏だったと思います。

その暑さを逃れて長野県の松本市に近くにある別荘に行っていた姉の体験です。

2021年5月26日 (水)

風のいたずら

先週あたりは天候が定まらず、雨・風の荒れた日が多かったように思います。歩行車を使っている私は雨が降っては外出ができません。そのため、何度か歯医者さんの約束をキャンセルしました。そんなある日のことです。その日は雨は降ってませんでしたが、大風の吹き荒れていた日でした。

何気なく部屋から外を眺めたら、木々の枝が大風に弄ばれてあっちを向いたり、こっちを向いたり。隣の木も同じような動きをしているのを見ていて、ふと、「あら、木たちは楽しそうに何をおしゃべりしているのかしら?」と思いました。大笑いしているようにも見えます。何しろ木たちがくっついたり離れたり、太い枝が笑っているかと思えば、枝先の葉っぱがきらきら光りながら「そうだ、そうだ」というようにまるで本当に楽しそうに笑っているようなのです。

しばらくたって、河口湖に住んでいるM子さんに電話をした時、驚きました。M子さんが、その日の大風の酷さのために、自分の小さな畑に被った被害や、老木の枝が折れて歩行中身辺に落下する危険について話してくれた後に、「それにしても、木たちはなんと楽しそうなんでしょう!」と、私と全く同じことを感じてそれを口にしたのです。そこでまた、話に花が咲いたのは当然ですが…

お昼過ぎ、空を見上げれば、いつ雨が落ちてきてもおかしくない様相… でも、雨は降ってないのだから、出かけるなら今だ。用心のためにレインコートを羽織り、歩行車のバッテリーの入っている箱にはぬれても大丈夫なようにプラスチックの袋をかぶせて、やっとのことで歯医者さんに行きました。治療が終わってビルの外へ出たら、雨がぽつぽつと降り始めていました。風は相変わらず強かったので傘をさしている人は途中で傘を閉じなければならないほどでした。でも、私は傘もないし、レインコートのフードをかぶって、結構楽に歩行車で歩いていました。と、その時、突然バッテリーにかぶせてあったプラスチックの袋がめくれて飛んで行ってしまったのです。あっという間の出来事でした。袋は車道の真ん中で、私をからかうように、ひと遊びして向かい側の歩道に飛ばされていきました。「ま、いいや」とそのまま歩いていたら、また一陣の風が吹いたと思ったら、その袋は車道を越えてこちら側の歩道に飛ばされてきました。そして、何と歩行車の前輪のところで車輪に絡むように止まったのです。「ただいま」とでも言うように。私は、思わず笑ってしまいました。プラスチックの袋が生き物のように見えて、思わず「かわいい!」とつぶやきながら袋を拾い上げました。

風のいたずらですね。

    ”風がどこから吹いてくるのか ひとは誰も知らない  愛を呼びさまし 心をうるおし いつの間にかわたしの中を

    吹き抜けてゆく  それは気高いキリストの思い どこへ風は吹いてゆくのか 誰も 知らない”(典礼聖歌386)

 

2020年12月 8日 (火)

「いいね」と「いいな」

Facebookを見ていると、あらゆるところに「いいね」ボタンがあります。もし、私がその記事に賛同し、「いいな」と思ったら「いいね」ボタンを押すのです。

ところで、ある日、散歩をしていた時のことです。神経の病気を背負ってしまった私は歩くのがとても遅くなっているので、歩いていても後から来る人たちに簡単に追い越されます。べつに追い越していった人たちをうらやんでいませんが、歩きながら自然にリズムを取るのが習慣になっていた私は、「いいな、いいね。いいね、いいな。」などと勝手に節とリズムをつけて口ずさんでいました。その時、ふと考えたのです。「いいね」と「いいな」って何が違うんだろう?って。

 

色々別な解釈があるかも知れませんが、私が散歩中に考えたことは、「いいね」は相手、あるいはそのことなどに賛同している時感じるもの。そして、「いいな」は似ているのですが深いところでちょっと違うな、と思いました。賛同し、認めているかもしれませんが、何か否定的な感情が含まれている気がします。たとえば、「うらやましい」のような。

 

歩みの遅い私が、追い越していった人に対してこの二つの感情を言うことができます:「いいね」- 良かったね早く歩けて; おめでとう; 続けてがんばってね;とか・・・ 「いいな」- 早く歩けていいな、私も早く歩きたいよ;みたいな。

 

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「あいしているよ!」

只今。大変長い間ブログから離れていました。いまさら…とちょっと恥ずかしい気がしますが、やはり、書きたいです。書きたい、と言うのはおしゃべりすること、私の気持ちを分ちあうこと・・・です。今日、やっとこのぺージを開きました。何年も離れていたので何かご挨拶しなければならないかなと思っていたら、それがまた、邪魔をしたのです。それで、今日は、ご挨拶なしにそのまま、いつものように私が感じたことを、あたかも今まで何もなかったかのように続いてきたかのように書かせていただきます。

 

タイトルは「あいしているよ!」です。カルメル会司祭の中川神父様がカトリック上野毛教会の講座でお話になったことなのかはっきりしませんが、1枚の紙きれがわたしの目に留まったのです。2012年2月号と書いてあります。だいぶ前の記事ですね。

私が「あれ」と思って心が動いたのは次の数行でした:「韓国と日本で、保育園の園長を経験されたあるシスターが話しておられたことです。韓国の多くのお母さんたちは、朝、子どもたちを保育園に預けていくときに《あいしているよ!》と言葉を残していきます。一方、日本の多くのお母さんたちは《がんばってね!》と声をかけて出かけて行きます。」

 

韓国と日本はお隣同士ですし、感情表現などもそれほど違っていると思ってなかったのでこの文に出会った時、とても新鮮な気分でした。

日本で、お母さんが自分の子どもに対する愛情表現ってどんなものがあるのかなあ、と考えていました。

一番身近なところで、私が何年かベトナムで生活していた時には、お母さんは何のためらいもなく子どもに「ママはあなたを愛しているわよ」と言いながら頬ずりをして別れる情景を何度も目にしました。(外出の時もあれば、夜寝る前のあいさつである時もあります)

欧米諸国では、親が、”I love you!" と子どもに頬ずりをする風景は家庭内のごく普通の情景として私たちは映画その他で目にして、当り前のことなのだろうと受け入れているように思います。

 

日本の「がんばってね!」はお母さんの心の中では「愛しているよ!」なのでしょうが、やはり違いますね。

 

ベトナムにいたときのことです。私たちの通訳のために3日ほど離れて過ごさなければならなかった母子がいました。そのお母さんは、毎晩、子どもに電話をかけてその日の出来事を聞いてあげていました。そして、電話を切る時には必ず ”Me yeu con!"(ママはあなたを愛しているわ!)と何回も繰り返して 電話を切るのを惜しんでいるようでした。子どもも、お母さんに”Con yeu Me!" と、もちろん返しているのです。

私はそのやり取りを聞きながら考えていました。日本人だったらどうやってこういう場面を切り抜けるのかなぁ、と。やはり、「XXちゃん、がんばってね!」なのでしょうか?

 

 

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