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2016年2月

2016年2月27日 (土)

今、茂原教会の「教会学校」では・・・・

 

 ミサのとき、高山右近のロゴマークを募集していることを聞き、やってみたいと子どもの声。

ロゴマークを作る前にどんな人であったか知る必要があることで、今、小学低学年でもわかる本を探しています。 (知っている方は教会学校のリーダにお知らせください。)

そのことから、心にひかれる聖人や人についての本を読み、友達に分かち合っていくことになりました。「マザー・テレサ」を読みさっそく、友達に話し感想文を書いてきたので、分かち合いたいと思います。

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マザー・テレサについて

 

*1910年マケドニア(旧ユウゴスラビア)に生まれる。

 

*18才「ロレット修道会」に入会。

 

*インドのカルカッタで20年間教鞭をとる。

 

*最も貧しい人々の為に一人で始める。

 

*1950年インド国籍を取り「神の愛の宣教者会」を設立  *1979年ノーベル平和賞を受賞。

 

*1997年9月5日死去。87歳。

 

                                                                       

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マザー・テレサを読んだ感想          松本えりさ

私は「マザー・テレサ」という本を読みました。「マザー・テレサ」の本を声に出して読んで思ったことは、「マザー・テレサ」っていうお方はとてもいい方なんだなーと最初に思いました。

わかいとき、マケドニアという昔はユウゴスラビアとよばれていた所からインドにきました。

インドのゆうふくな少女の学校の先生をやっていました。ある日、学校に通うと中に、まずしい人たちを見て、心にこう決心したのです。「わたしはめぐまれない人たちのためにはたらこう!」と思ったのです。

ある日、先生をやめたマザー・テレサは道ばたで子どもたちにべん強を教え始め、マザー・テレサはべん強のほかにも、やくに立つ色々な事を教えてあげました。そんなテレサ先生を子どもたちは大すきでした。やがて、うわさは広がり、うわさを聞いた人たちはお金をきふしてくれるようになり、マザー・テレサのあいは昔も今もあります。

マザー・テレサは1979年にノーベル平和賞をうけました。そしてみんなのねがいはむなしく、

1997年の9月、びょう気のため、87さいで人生のまくを閉じました。

しかしマザー・テレサのあいは死んでも、生きてても、一生つきることはないはずです。

マザー・テレサは世界中から「お母さん」とよばれてきたのですから、マザー・テレサはまずしい人のために助けたやさしき心を多くの人に語りつげていくのです。

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2016年2月26日 (金)

≪いつくしみの特別聖年≫と免償

教皇フランシスコは、「いつくしみの特別聖年」における免償について記した書簡を発表された。

まず、免償とは、「ゆるしの秘跡」を受けて、すでに赦された罪に伴う、有限の罰の免除をいう。

「いつくしみの特別聖年」は、今年12月8日「無原罪の聖母」の大祝日から、来年11月20日「王であるキリスト」の大祝日まで開催される。

教皇は、いつくしみの特別聖年の準備・運営に携わる教皇庁新福音化推進評議会の議長、サルバトーレ・フィジケッラ大司教に宛てた書簡で、同聖年を通して信者に与えられる免償について言及。

来たる特別聖年がすべての信者にとって神のいつくしみとの真の出会いの時となるよう、いくつかの重要な点を示したいとしつつ、この聖年における免償の具体的なあり方について述べている。


教皇は書簡の中で、まずこの聖年の恵みに与る各教区の信者、あるいはローマを訪れる巡礼者に向け、聖年の免償が神のいつくしみの純粋な体験として一人ひとりに届くことを願っている。

免償を得るために、真の回心を深く望んでいるしるしとして「聖年の扉」に向けて 短い巡礼を行なうよう、教皇は信者らを招いている。聖年の扉は、各教区の司教座聖堂または司教が指定する教会、ローマの教皇付属の4つの大聖堂、さらに巡 礼聖堂や聖年の免償の伝統を持つ教会に設けられている。

この時、神のいつくしみについての深い思いと共に、ゆるしの秘跡、ミサに与ることが重要である。さらに、これらの秘跡に加えて、信仰宣言を唱え、教皇のため、また教会と世界の善を願う教皇の意向のために祈らなければならない。

次に、諸般の事情のために「聖年の扉」に赴くことができない人々として、教皇は 病者や高齢で一人暮らしの人などに心を寄せている。主はその受難と死と復活の神秘を通して、苦しみと孤独に意味を与える道を示しておられ、病気や苦しみを 生きることは、主に近づく体験として大きな助けになるだろうと教皇は述べている。

これらの人々にとっては、試練の時にあっても信仰と喜びをもって生き、聖体拝領をする、または、ミサや共同体の祈りに実際にもしくは様々なメディアを通して参加することが、聖年の免償を受ける方法となる。

さらに、教皇は受刑者に思いを向け、赦しを最も必要とする者に寄り添う神のいつ くしみが、これらのすべての人々に届くようを望んでいる。受刑者は、刑務所の礼拝堂で免償を受けることができ、自室の扉をくぐるたびに、御父を思い、御父 に祈ることは、彼らにとって聖年の門をくぐることと同じ意味を持つと教皇は記している。

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また教皇は、教会全体に向け、聖年中、物理的・精神的ないつくしみの業を行なうことを奨励。信者がこれらの業を行なう時、聖年の免償が得られるとしている。

聖年の免償は亡くなった人々のためにも得られることに教皇は触れ、ミサの中で故 人らを思い起こし、いつくしみ深い御父が彼らを残った罪から解放し、永遠の至福のうちに彼らをご自分に引き寄せてくださるよう、聖徒の交わりの偉大な神秘 において祈ることができると説明している。

教皇はこの書簡の後半、特に妊娠中絶をした女性たちについて述べている。堕胎の悲劇において、ある人々は犯した悪の重大さにも気づかない一方で、堕胎の選択をしたことに対して深い傷を心に負い、今も苦しんでいる人たちが多くいると、教皇は指摘。

すでに起きてしまったことは深く間違っているが、真理においてそれを理解するだけでも、希望につながるのであり、神の赦しは、特に真摯な心でゆるしの秘跡に与り、御父との和解を求めるすべての痛悔者に与えられるものであると強調している。

こうした理由により、堕胎の罪を犯したが、心から悔悛して赦しを願う者に対し、罪の赦しを与える権限を、この聖年の間すべての司祭に許可する旨を教皇は記された。

そして、司祭たちはこの重大な任務に対し、告解する人を心を込めた言葉で受け入れ、犯した罪についての理解を助ける考察と共に、その存在をもってす べてを新たにされる御父の真の寛大な赦しにたどりつくために、正真の回心への道のりを示すことができるよう、そのための準備を励まされている。

カトリック倫理において、堕胎は大罪とされ、通常、その罪に対しては、司教、ま たは司教がその権限を託し任命した司祭だけが赦しを与えることができる。このいつくしみの特別聖年においてすべての人が恩恵を受けられるよう願われる教皇 は、特別な準備を奨励した上で、聖年中、すべての聴罪司祭らにこの権限を認可された。

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2016年2月16日 (火)

召命の危機には祈りで  -教皇フランシスコの言葉

=召命の危機には祈りで

February 12, 2016

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「奉献生活の年」の閉年を記念する行事のために2月1日、バチカンのパウロ6世ホールに到着した教皇フランシスコ(CNS)

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【バチカン2月1日CNS】召命減少の危機には祈りを強めることで応えるべきで、失望したり、または受け入れ手続きを緩和したりしてはならない、と教皇フランシスコは男女の奉献生活者たちに語った。

教皇は自身も希望を失いそうな傾きにとらわれることがあり、神に向かってこう問い掛けると語った。「主よ、何が起こっているのでしょうか? どうして奉献生活の土壌はここまで不毛になってしまったのでしょうか?」

ただし、教皇は性急な対策を講じることには警告を発し、一部のある「修道会は“人工的な種まき”を実験していて、誰でも受け入れてしまい、たくさんの問題を引き起こしているのです」と一例を挙げた。

召命の過程には「真剣に」取り組まなければならず、「これが真の召命なのかどうかよく識別し、その上で育んでいかなければなりません」と教皇は2月1日、バチカンのパウロ6世ホールで、修道会や在俗会、宣教会の会員たちに語り掛けた。

教皇は「奉献生活の年」の閉年を記念するローマでの行事に参加していた約5千人の男女の奉献生活者たちとの謁見に臨んだ。「奉献生活の年」は2014年11月30日に始まり、今年2月2日の「主の奉献」の祝日に閉年した。

教皇フランシスコは男女奉献生活者、特に修道女の働きに感謝の意を表した。「もしシスターたちがいなかったら、教会はどうなってしまうでしょう?」と教皇は問い掛け、修道女たちのカトリック病院や学校、小教区や全世界の宣教地での活躍をたたえた。

(カトリック新聞オンライン2016・2.10.)

2016年2月 6日 (土)

Pope closed the year of Consecrate Life

National Religious Vocation Conference


 

"Our founders were moved by the Spirit and they were not afraid to get their hands dirty with everyday life, with people’s problems, they were not afraid to courageously walk the geographic and existential peripheries. They did not stop before the obstacles and misunderstandings of others, because they kept the wonder of their encounter with Christ in their hearts. They did not tame the grace of the Gospel; they had a healthy yearning for the Lord in their hearts, the yearning to bring Him to others, just as Mary and Joseph did in the temple. We too, are called today, to make prophetic and courageous choices." ---Pope Francis


 

Pope calls on consecrated persons to make courageous choices

Pope Francis has called on consecrated men and women to make courageous and prophetic choices, to not be afraid of getting their hands dirty and of walking the geographical and existential peripheries of mankind today.

en.radiovaticana.va


 











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