ルーツさんとマリアのみ心会 Dr.ルーツ ファウのこと、再び
ルーツは「人々の役に立ちたい」と望み、医師になり、「マリアのみ心会」に入会しました。
不穏な時代が始まろうとしていた1929年9月9日、ルーツはドイツのライプツィヒに生まれました。誕生の翌月には世界大恐慌が起き、ナチズムが台頭し、10年後には第2次世界大戦がはじまりました。ルーツは少女時代をナチの支配下で過ごし、東ドイツで終戦を迎えました。
自由を希求したルーツは1948年、西ドイツへ命がけの越境を断行しました。西ドイツでは生活も経済も順調に復興し自由を謳歌できました。勉強が好きで、人のために役立ちたいと望んだルーツは、医学部へ進学しました。ルーツは友人たちと人生について信仰について語り合い思索する日々を過ごしました。そしていつしか、「イエス・キリストに呼ばれている。修道生活がわたしの道だ」と確信するようになりました。
ルーツは医師になり、神の呼びかけに応えるべく「マリアのみ心会」に入会しました。マリアのみ心会のパリ本部で修道生活の養成を受け、修道誓願を立てたあと、ルーツはインドへ派遣されることになりました。
パキスタンのハンセン病患者とともに57年間
ルーツはインドのビザの発給を、カラチで待ちました。ある日スラムは案内され、劣悪な状況に置かれたハンセン病患者たちの惨状を見ました。「人間はたった一回の人生を生きる。その尊い人生を、このような状況で生きてはならない」。ルーツは、カラチに残ることを希望しました。それは1960年3月、ルーツ30歳の時の出来事でした。
それから57年間、ルーツはパキスタンでハンセン病と闘いました。1962年、カラチにハンセン病専門病院を設立し、マリアのみ心会の創立者の名前をとって「マリー・アデライド・ハンセン病センター」と名付けました。その後、全土に157の分院を開設し、そこで働く多くのパラメディカル(医療助手)を養成しました。1996年、国連世界保健機関(WHO)は、パキスタンはアジアで早期にハンセン病の感染がなくなった国の一つだと宣言しました。
国葬、記念切手の発行、公立病院の改名
2017年8月10日ルーツは天寿を全うしました。パキスタンイスラム共和国は、ルーツの生涯を讃え惜しみない敬意を表しました。盛大な国葬を営み、記念切手と記念コインを発行し、カラチ最大の「カラチ市民病院」を「Dr.ルーツ・ファウ記念 カラチ市民病院」と改名し、さらに他のいくつかの病院と医療学校がルーツの名に因んで改名されました。
“神様ありがとう”
ルーツは「パキスタンのマザーテレサ」と呼ばれています。インドとパキスタンの二人のマザーテレサに共通することは「神さまに使命を与えられ、苦しむ人びとと共に生きたこと」です。神さまの呼びかけに応えた二人の人生を、神さまに感謝します。そしてわたしたちも、神さまのお望みに応えて生きられますようにと祈ります。(清水範子 dhm)
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