教会(キリストの体)は一つ
先日、ヴァティカン(バチカンと書いた方がわかりやすい?)の教皇大使と食事をして話し合うという会があって、各修道女会の代表が参加したようです。
私たちの会からも一人が出席して分かち合ってくれたことです。
食事のあとで、大使の話があり、またその後で行われた質疑応答(?)がとてもよかった(とても為になった)ということで、その中で教皇大使が強調されていた2点を話してくれました。
一つは、日本の教会は「寝ている」-消極的だということです。社会に対してもっと声を上げられるのではないか、と指摘されたこと、もっと信仰をもって行動してほしい、と。
二つ目は、今の日本の状態を聞くといつも、「うちの教会の何%は外国人で、何%は日本人です。」「教会の半分以上が外国人です。」というような言葉だそうで、「どうして教会を分けて考えるのですか?教会に国籍は関係ありません。教会は一つです!」ということだったそうです。
主任司祭、あるいは司教様たちがおっしゃりたいことは、外国人信徒が増ええたことで、日本人信徒に宣教熱を喚起しているつもりなのかもしれませんが、たしかに、客観的にこの言葉を聞けば、国籍を分けてますね。
そして、確かにある教会では、日本人信徒があからさまに「侵害されている」という態度で主任司祭を困らせているとか、または、主任司祭自身がどのように自分の小教区を≪教会は一つなんだよ≫と言えるようにできるのか試行錯誤しているように見受けられます。
聖パウロの力強い言葉を思い浮かべます。
「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもってたがいに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
体は一つ、霊は一つです。それは、あなた方が、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべての者の父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(エフェソの信徒への手紙 4章1~6)
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今日、ヴァチカン大使が私の教会の英語礼拝へ来られましたよ!
突然、いらっしゃることもありますが、新年最初の日曜日には必ずいらっしゃいます。
ご挨拶の際は、やはりオーラを感じ、そばに居るだけで何だか心が清められるように感じました。
投稿: Mahyaliz | 2009年1月 4日 (日) 20時30分