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2009年1月 2日 (金)

教会のおみくじ;「神の言葉」

神社仏閣へ行くとたいていどこでも「おみくじ」を売っています。そして、たくさんの人が買って嬉しがったり、残念がったりしています。

私たちが、心に本当のよりどころがないからでしょう。でも、だれかが勝手に「良い」だの「気をつけろ」というのは無責任な気がします。

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いつも通っている小教区には小さく丸めてかわいい帯をしめた紙がたくさん入っている籠があります。その小さく丸められているな紙切れには聖書のみことばが書かれています。そして、ミサに来る人、あるいはお祈りに来る人たちが自由に取れるようになっています。

ある時、Bさんが私に言いました。

「私は教会に来るたびにこの紙を取ります。何が書いてあるかとても楽しみで、そのみことばが私を支えてくれています」と。

そして、ある体験を話してくれました。

「ある学校の試験を受けました。ある日、帰宅したら得点数を書いた通知書が届いていました。でも、ミサに行く時間がせまっていたのでそのまま教会に来ました。そして、いつものようにこの「神の言葉」をとりました。おみどうに入って席に座ってから、そっと「神の言葉」を開いて読みました。

そこには「…すべてを感謝して受ければ何も失うことはない・・・」という意味の言葉が書いてありました。これを読んで、この封筒の中の点数が何点であってもかまわない、と私の心はとても平和になりました。

それから、静かに受け取ったばかりの学校からの通知書の封を切りました。確かに、私が望んでいたような点数ではありませんでした。でも、「神の言葉」のおかげで平和でした。『そうだ、もし私が感謝して受け取れば、何も失うことはないのだ』とはっきり確信できたのです。」

素晴らしいな、と思いました。

これが、聖書のみことばだからです。

2009年1月1日、時間が空いたので、例年のようにベトナム語のミサに出ました。旧知の人たちに出会える好機でもあるのです。

そして、ここではミサの後、家庭のための「神の言葉」が配られます。

裏返しになっているので、どんなみ言葉を頂けるのか受け取るまでわかりません。

私が今年頂いたみ言葉はシラ書25章9節

「分別を身につけた人、聴く耳を持つものに語ることのできる人は幸せだ」でした。

今年も1年間私の部屋に貼っておきます。

ちなみに、去年も私はシラ書からのみ言葉でした。

「信仰深い人の受ける報いは、主の祝福である」(シラ書11/22a)

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