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2011年3月24日 (木)

同じ運命を歩いてくださる主

日本語の生徒が一人、ベトナムへ帰りました。

じつは、クラスの前日、めずらしく彼から電話がありました。

「先生、おげんきですか? あした、日本語のべんきょうしますか?」

「ええ、いつものようにね。まってますよ。」

そして、翌日、彼は日本語の勉強に来ましたが、

「先生、ぼくは来週ベトナムへ帰ります。いつ、日本に帰るかわかりません。」

「えっ?」

「福島の原発の事故のために、所長がベトナムへ帰ることを決めました。」

ということでした。

ちょうど、少し前に新聞その他のニュースで、国へ帰る外国人が増えていることを知ったばかりだったので、納得はいきましたが、そして、その方がよいに決まっていますが、おたがいに「さびしいですね」と言いました。

もう一人「さびしいです」という人がいました。

一生懸命頑張って、東大の大学院博士課程を無事終えて24日に卒業式を迎えることになっていたMKさんです。

息子の晴れ姿を見るために、ベトナムからご両親もいらっしゃることになっていました。

「ご両親は到着しましたか?」

「いいえ、卒業式もありません。 事務所で証書を受け取るだけです。とてもさびしいです。」

ベトナムのご両親は、たぶん楽しみにしていた日本旅行が中止になって残念がると同時に、今回の原発の事故のことで息子のことの心配も増えたのではないでしょうか。

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3月11日以来、日本だけでなく、世界中で原発に対する不安とか心配は日に日に大きくなってきているようです。

そして、今日はついに作業員の中から被爆者が出てしまいました。

そんな中でも、わたしたちは聖書のみことばに支えられているのが力です。

みことばだけでなく、みことばに表れているイエス様の生き方、姿です。

イエス様は、今、わたしたちと一番近くにいてくださるんじゃないでしょうか。

わたしたち一人一人と同じ運命を共に歩いてくださっていることを感じます。

わたしたち以上に苦しんでいらっしゃるのはイエス様のような気がします。

わたしたちが不安に落ち込むとき、すぐ近くにいて励まし、助けてくださる。

わたしたちが笑うと、イエス様も、嬉しそうに笑ってくださる。

泣いている人がいれば、一緒に泣いていらっしゃる。

わたしたちが負いきれない重荷を一緒に負ってくださるためなんですね。

主が、今、苦しみ、寒さ、空腹、痛み、絶望の中にある方と共にいてくださることを信じます。そして、その方々が、さまざまな苦しみの中にあっても「希望」を告白することができるように力づけられるようにお祈りします。

(マタイ11章28~30参照)

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