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2012年1月 2日 (月)

お年始 と 『幸福論』

20年以上お付き合いしているベトナム人から

「お正月だから遊びに来ませんか」という誘いを受けて、久しぶりのことだったので喜んでその招きを受けて、今日の午後行ってきました。

そんなに遠方ではなかったのに、初めてのところだったのでちょっと時間がかかってしまって、わたしが着いたときは、乾杯が終わったところだったようです。

自宅の入っているマンションの入口まで出迎えてくれたTさんにくっついて5階まで上がり、「さあ、ここです」と言ってドアを開けてくれて、わたしの目に入ったのは!・・・

靴の上に靴が脱いである玄関でした。F1000020

奥からは、もうにぎやかなおしゃべりが聞こえています。

床に直接ビニールシートを敷いて、みんなそれぞれの場に座って目の前にある料理、ビール、お茶、ジュースに手を出している様子はとても合理的です。何人でもOKなんですから。

みんながそれぞれ勝手(?)に、楽しそうに話している様子を見ていると、いつも感じるのですが、ベトナム人は、こういう場での「会話が上手だな」ということです。

多少話に尾ひれをつけるのでしょうが、なんと楽しそうに話し、、大笑いするのでしょう。

言葉のハンディのために100%彼らの輪に入れなかったわたしは、彼らの楽しそうな屈託のない様子を見ていて、今朝仕入れたばかりの

『幸福だから笑うのではない。むしろ、笑うから幸せなのだとわたしは言いたい』

と言っているアランの『幸福論』の中の一節を何となく思い出さずにいられませんでした。

実際、彼らベトナム人たちのこうした姿を見ていると「本当だ」とうなずきたくなります。

20年以上前にボートピープルとして来た人たちをはじめ、留学生にしても、就学生と呼ばれる人たちにしても、研修生にしても、決して、決して彼らの生活は『幸福だ』とは言えないでしょう。

彼らは『幸わせをつくる達人だ』と思いました。

そんなわけで、このアランの『幸福論』の一節はとても心に深い印象を残しました。幸福は待っていて来るものではないんだ、もっと積極的なもので、一人ひとりの努力で幸せになれるんだ、・・・幸せって、わたしたち一人ひとりが作っていくものなんだ、という開眼です。

わたしたち一人ひとりが幸せな年をつくっていくことができますように。

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