『聖ヴェロニカの花に祈る』
今日の文章のタイトルは、なんと昨年2011年3月30日付の日本経済新聞夕刊に載っていたコラムのタイトルです。書いた方は作家の姫野カオルコさんです。
もう1年以上前の記事ですが、ところどころを省略して、ここにご紹介したいと思います。
『春はたくさんの花が咲く。桜が咲きほこるよりすこし先に、梅が春をまえぶれし、沈丁花が香り、アネモネがおもちゃのような花びらをひろげる。
日本の花の色は白がもっとも多く青は2割だそうだ。
学名をヴェロニカ・ペルシカという、ごく小さな青い花がある。同系統の花がいくつかあり、みなヴェロニカがつく。
その昔、十字架を背負いカルヴァリ丘を歩かれているイエス様を見て思わずかけより、額の汗をぬぐってさしあげたという婦人の名がついたゴマノハグサ科のこの小さな青い花は、しかし見る人には、もっとのんきな安らかさを与える。
[…] じっさいこの花にはオオイヌノフグリというユーモラスな和名がついている。
北風がようやく温んだころ、おもてに出ると鼻孔に、あきらかに冬とは違う匂いが流れてくることがある。そんなころに、軒先やあぜ道に、オオイヌノフグリが咲いているのを見つける。
じつに春は一年でもっとも美しい季節である。
月日をかけて、肌身でそう感じることができるようになった。
[・・・] 子供や若者は春に感じ入らない。春に花が咲くのはあたりまえだと感じる。然るべし。自分自身がすっぽりと春の中にいるのである。
春が自分のうちから去ってはじめて、人は感じ入ることができる。いかに春が美しいかを。
[・・・] 「ああ、春がまた来た」
そう感じられる幸いは、春を過ごし夏を過ごしてきた長々の月日が贈ってくれるものである。
「ああ、春がまた来た」
そうことほぎて見る、日常の、なんのへんてつもないもの。光の中の屋根。雨の中の田畑。曇った道端ですれちがう人の顔。みな愛しく懐かしい。
「春がまた来た」
命あってこそ、春は再訪する。
命ある人が、春を見る。
たいせつなものを、すべて波に呑まれてしまった方々に、どうか、また周りの人たちとほほえみあう日が訪れますように。
ヴェロニカの花の花言葉は、「信頼」 「忠実」 「有用」。
日本のそこかしこにある、この元気な青い花に心から祈りを託します。』
この一文に触発されてでしょうか、姉は、昨年に続いて2枚目の被災地(者)のための水彩画を描きました。 津波に耐えた「奇跡の一本松」と仮設住宅、そして希望の花オオイヌノフグリ(聖ヴェロニカの花)が象徴的に描かれています。
「わたしたちは捨てられた」と悲痛な叫びをあげている人々が、もうそんな叫びをあげなくても済むようになるまで、そばにいてあげたいと思います。
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