巣立ち
最近、自然界、それも鳥の世界でよく言われる「巣立ち」みたいな気持ちを経験しました。
私が趣味で始めた音楽を、珍しいから教えて、と乞われるままに教え始めて7,8年が経とうとしています。
生徒は若い人が多く、吸収が早いです。また、私がベトナムで習っていたころには考えられなかったいろいろなハイテクを駆使して研究しながら音を出している生徒たちです。
当然、進歩は速く、わたしにとってはとても楽しみな時間でした。
ある時から、私は冗談半分で「そろそろ卒業してもいいんじゃない?」と言うようになりました。生徒を励ます意味もありました。
でも、私が聴くのも楽しみなくらい上手に演奏する生徒たちが来なくなるのは寂しくなるのは目に見えていました。
それでも、「時」はやってきました。
《卒業》した生徒たちは、それぞれ個々に他の音楽仲間とユニットを組んで演奏活動を楽しんでいます。
彼らの演奏を聞くと「育ててきた」充実感と喜びを感じるとともに一抹の寂しさを感じるのはなんなんでしょうね。
私たちを赤ん坊から育て上げて、ある時、親元を離れた時の両親もおなじような気持ちを感じたのだろうな、と思いました。
《卒業生たち》の演奏活動のニュースを耳にし、また目にする時私の心は複雑に揺れます。
《卒業生たち》を愛していたしるしだとも思います。
今後も《卒業生たち》がいろいろな場面で活躍してくれたら教えた甲斐があったということでしょう。
両親の思いに心を向け、感謝を新たにしたことです。
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