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2014年7月20日 (日)

イエスの聖心の絵にまつわるエピソード

イエスの聖心に捧げられた6月もとっくに過ぎ、7月もあと10日を残すだけになってしまいました。

6月中に書きたかった記事です。「季節感」(?)は薄れたかもしれませんが、信心の温度は変わらないでしょう。


16世紀にヨーロッパからキリスト教が日本に伝えられ、宣教師たちと一緒にいろいろな文化遺産も持ち込まれました。いろいろな像、十字架、音楽、絵画などなど。

ここに紹介するエピソードは、日本においてより、外国で有名になっているようです。いつか、「聖心」で検索したらどれもこれもこのエピソードを紹介していたのに驚きました。(外国語でしたが)   そして、私自身、このエピソードを知らなかったのでとても新鮮に感じ、他の人にも知らせたくなったのです。すでに、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、日本のキリスト教の歴史の1ページにこのようなエピソードがあったというのはとても美しく、素晴らしいと思い、ここに紹介させていただきます。

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1597年に日本国内で行われたキリシタン迫害は実際、実にひどいものでした。一週間のうちにすべてのカトリックの施設は破壊され、ほとんどの宣教師は逮捕され、信徒たちは散らされ、または迫害されました。小田原では、二人の司祭が捕らえられ、たくさんの美術品が押収されました。

ツカモトという役人はたくさんの美術品の中から一枚の奇妙な像が描かれている絵を手に取りました。


心臓が外に出ている(描かれている)!!   これは何だ!  ツカモトは学者で実際的な人間で、研究熱心な人間でした。しばらく、イエスの透けて見える心臓の絵を見ていましたが、ゴミ箱に捨ててしまいました。

しかし、夜になって彼はこの像には必ず何かの意味があるに違いないと思い直し、捨てた絵をもう一度ゴミ箱から拾い出して、テーブルの上に置いて考えました。


夜中になっても、役人は一人で、この像の前でじっと動かないでいました。明け方近くになってようやく、絵の下に書いてあった毛筆の文字を見つけて静かに頷いてため息をつきました。


そこには、   対外友祈心       対内無心者    と書いてありました。


彼は、イエスの聖心の絵を、丁寧に机の上におきました。

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ある日、一人の友が来て質問しました: 「邪教の絵を気に入ってしまってどうするんだい?」

役人は答えました。  「君の言うとおり。帝政の側に立つものとして抗議する勇気は持たないが、文化や人間性から私はこの絵を気に入っている。この絵がキリスト教のすべてを語っていると思わないか? 彼が考えているのなんだと思うかね? 人々にとってはただの他人だが、私にとっては、それは心だ。


彼らは心を外側に表現した。 それは、心の全てでもって社会奉仕、有益な生活をもたらすためだ。

彼にとっては無私の犠牲。利己的なエゴのために殺される自分のことは全く心配しない。

そして、「内」、すなわち自分に対しては全くの無心。そのために、彼らは心臓を外側に描いたのだ。


その意味は、自分の心は社会に生涯奉仕し続けるためだということだ。

もう、自分のことには煩わされないで、生涯人々のために仕えるための「心」なのだ。



この絵は、佛の慈悲の完全さ、儒教の寛大さ、老子の無私無欲、神道の勇気などよりもっともっと深いものを示している。


人類に奉仕し、人類と自分自身を愛し、自分自身を忘れ、自分の興味に気を取られない宗教の教えの「実り」は誠実さなのだよ。」


(注記:文献によれば「小田原」という地名は出てこない。ツカモトが誰なのか不詳。)

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