« エッファタ (開け) | トップページ | クリスマス・ローズ »

2015年2月26日 (木)

マタイ25章

四旬節に入って、何か自分なりに新しく生きなおしたいような気持にさせられる。

いわゆる「回心」を呼びかけられているのかな、と思う。

そして、毎日のミサで聞き、祈る聖書の箇所も私の今の気持ちを応援してくれているように心に響いてくる。

また、新聞紙上をにぎわしている何気ないニュースにも何か敏感になっている気がする。

これらはすべて恵みだと思う。

と、いうような日々を過ごしていたら、Nさんからメールが来た。Nさんは私がたくさんのベトナム人の友達を持っていることを知っている人だ。メールを読んで、、私はショックを受けた。

ある一人のベトナム人のことを書いているのだが、彼は、日本に来て20年という年月を刑務所内で過ごしたというのだ。Nさんと出会ったのがどこかは知らないし、その時何をしていたのかもわからない。でも、今回、ヘロインを吸っていて、≪今朝も吸っていた≫ということでNさんは警察の助けを借りて彼を薬物依存症者のための治療施設に入院させてもらったということだった。

ここまで読んで、≪なんと悲しい話なんだろう≫と、とてもつらい気持ちに襲われた。

20年間を刑務所内で暮らし、今また、病院内での暮らしが始まった。


彼の生活を思い、祈っていたとき、マタイ25章の場面が目の前に浮かんできた。

「病気の時に見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25章36)といって喜んだイエス。


Nさんに連絡しよう。

この気の毒なベトナム人の中にキリストはいらっしゃる。


53

« エッファタ (開け) | トップページ | クリスマス・ローズ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マタイ25章:

« エッファタ (開け) | トップページ | クリスマス・ローズ »