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2017年3月 2日 (木)

映画 「海は燃えている」 を観て

あと2,3日でロードショーが終わりそう、と聞いて、「観たいな」と思っていた映画「海は燃えている」を見に行ってきました。
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地味な映画、というのが私の最初の印象でした。でも、映像はイタリア最南端の島が舞台だけあって自然も美しく心和むやさしく私たちを包んでくれるようでした。

この映像と、「難民」とどう結びつくのかなと思うほど,観客の目に入ってくる映像はのどかな印象をを与えます。

観ていくうちに心はだんだん深みにはまっていくのを感じてきます。

同じ海。同じ島。そこに平和と悲劇が共存しているのがわかります。私たちの住んでいる社会も同じです。
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『ぼくたちは生きている。悲劇のすぐそばで。』

映画の中にちりばめられているいろいろなな伏線にも心奪われます。 =美しい海。大きな海原を命がけで渡ってくる難民・移民のボート。島の生活と難民たちの悲劇は全くきりはなされているかのように見える。そこに、たった一人の医師が彼ら双方を結んでいる姿として登場する、しかも、彼の日常生活として。

ある日、主人公のサムエレ君は左目が弱視であることがわかる。治療のために見える方の右目に矯正眼鏡を掛けさせられる。

医師は問いかける:「何か見えるようになったかな?」
サムエレ君は答える:「はい、ぼんやりと見えるようになりました」

左目の視力をあげるための矯正眼鏡だった。そのメガネのお陰で、今まで右の目でしか見えていなかった世界が、その矯正眼鏡のお陰で、今まで自分が知らなかった世界を見るようになった。

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この個所は私に聖書の箇所を思い出させました。聖書にはいろいろな箇所で「見えるようになりたい」人々の祈りが描かれています。今回はマルコ8章のところが思い浮かびました。

イエスの癒しのお陰で少しずつ見えるようになっていく盲人の歩み。

「イエスがもう一度両手をその目に当てられるとよく見えてきて癒されなんでもはっきり見えるようになった」(Mc.8/25)

わたしたちが見ないもの、見えないものでなく見えるものになれますように。

「主よ、見えるようにしてください。見えるようになりたいのです。」

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