Roots
先日、自分が生まれた場所の近くを散策する機会がありました。
みわたせば、国会議事堂がそびえ、自民党本部あり、衆議院、参議院の議員会館と宿舎・・・と、すっかり《官》の街になっています。
ここで小学校の低学年までを過ごした姉の案内で、ゆっくり、ゆっくり過去の時間を取り戻せるかのように静かな夕暮れの永田町を歩きました。
不思議な気持ちが心に湧いてくるのを感じました。
ここで生まれたにもかかわらず、戦争中のことで強制的に都内疎開させられ、私の家族は杉並区に移りました。私はたぶん、3歳か4歳ぐらいだったのではないかと思います。そんなわけで、永田町は懐かしい思い出として、耳にはよく入ってくる場所でしたが、ほとんど記憶にはない町なのです。
歩いているときに感じた「懐かしい」気持ちはどこからくるんだろう? そして、なぜ懐かしい気持ちになるんだろう?
生まれたときとその後しばらく住んでいた家は、そのあたり一帯、一緒に取り壊されてしまったので「場所」しか探ることが出来ませんでしたが、そこで生活した姉によれば、今歩いているこの細い道、角、角と曲っているようすは、当時のままだと言います。
「この両脇におもちゃ屋さんや駄菓子屋さんが並んでいたのよ」
「あのちょっと上にある日枝神社は、近所の子供たちの遊び場だった・・・」
「ここを流れる水で洗濯ごっこをしてから夕方家に帰った・・・」(と言って、「今だったらずいぶん怖い話ね」と昔ののどかな社会を懐かしんだようす)
これらの言葉を聞きながら歩いていると、確かに、歩いている足元は古いままのコンクリート道、両脇だけが新しい住宅、あるいは空き地、あるいは小さなビルに建て替わっているのですが、姉の声(ことば)が流れるたびに、そこここに「あの時」の情景が重なるように見えるのは何か温かい感じでした。
私の「ふるさと」と言える場所は「ここ」なんだ、としみじみ思いました。
今でこそ《官》の街に変わっていますが、私が生まれたころは、ごくごく普通のいわゆるしもた屋が立ち並ぶ落ち着いた「東京」だったにちがいないと思いました。 (正面の白い建物があるところが《我が家》だったそうです)
Rootsを歩いて感じたことは、この不思議な一種の懐かしさを感じさせる気持ちって、多分、私たちの一番のRootsである天国を思うときの気持ちと同じなんだろうなと思いました。
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