私は、父の晩年まで父がそれほどコスモスの花を愛していたことを知りませんでした。
画家の父親を持った父は、畑違いの道を歩いていましたが、スケッチブックをいつも持って歩いていました。
父が亡くなってから父のスケッチブックを見たことがありますが、完成された絵というのは少なく、対象物の部分を描いたものが多かったように思います。
スケッチブックの彩色に使われていたのは、大概が水彩絵具かパステル、または色鉛筆だったように思います。
1枚だけ、特別に覚えているのは「花瓶にいけられたコスモスの花」の油絵です。
父にしては珍しく油絵です。
私がまだ家にいた頃は、あるときは応接間に、あるときは玄関に、その小ぶりの油絵のコスモスの花が飾ってありました。今、原画は、長姉のところにあります。
時々その絵を見る機会がありますが、そのたびに私たち兄弟姉妹は、「お世辞抜きに素人にしてはよく描けているね」と言い合っています。
この季節、方々でコスモスにまつわる色々なイベントが繰り広げられ、また、大自然の中で色鮮やかに咲いているコスモスを見ると、あの「コスモスの油絵」と父を思い出します。
今日の東京は台風の影響で天気が不安定でした。
買い物のために大通りりへ出たら、雨がポツポツと降ってきました。家を出たときは雨はおろか、雲の切れ間から青空がのぞいていたので、一度持った折りたたみ傘も置いてきてしまいました。でも、その青空のおかげで、太陽が照りつけることの方を心配して帽子は持っていたのでその帽子をかぶり、雨の中、雨に濡れながら歩きました。
雨に濡れて歩くなんて、ずいぶん久しぶりのように思います。
幸い、土砂降りにはならなかったので、雨に濡れてあるきながら、何か鼻歌でも歌う気分になりました。
心に浮かんだ言葉は、「めぐみのパンは・・・」という聖歌の中の答唱部分でしたが、実際には無意識のうちに「パン」の代わりに「雨」と変えていました。そして、その時私は雨に濡れていたので当然、「恵みの雨に・・・」と言っていたのです。
そうしたら、「恵みのパン」の歌のようにうまくゴロが合いません。
それに、もっとやっかいなことに、恵みのパンの次の言葉が出てこないのです。
「恵みのパンに」 どうだったんだっけ???
「恵みの雨に 濡れて」、 でも、 「恵みのパンに (どうしたの??) 養われ・・・」
どうしても言葉というか文が続きません。どうなちゃったのかな、と思ったとき、
「あ、恵みのパン は 我らを満たし・・・ だった」 と、気がついたのです。
「めぐみのパン に 満たされて」 ではだめでした。
じゃ、「雨」 はどうなったかな?
「恵みの雨に 濡れる」 だめ。
「恵みの雨に 洗われて」 だめ。
「恵みの雨に 心 洗われ・・・」 まあまあ。
たった二つの小さな「音」: 「は」(wa) と 「に」(ni)で次に続く文がガラリと変わり、当然のことながら意味も全く違ったものになってしまいます。
長いあいだ、外国人に日本語を教えていますが、「助詞」は 難しいです。でも、今日の小さな例のように、とても不思議な 「ちから」 のようなものを秘めているように思います。
間違えると、意味が違ってしまうのですから こわ~~い ですね。
「恵みのパンは~」のメロディーを使いながら、 「恵みの雨に~」で 続きを作ってみたいと思い始めました。
去る7月19日(土)に、《イスラエル・パレスチナ・日本 友好の夕べ》という音楽とビュッフェのつどいが、四谷の某修道院地下ホールで開かれました。
おりも折、イスラエルとパレスチナの情勢がますます悪化しているような状況の中で、どんな集いになるのかな、と心配してしまいました。
案の定、在日外交官の挨拶にはイスラエルからだけ。昨年もパレスチナ欠席でしたが、書簡が読まれましたが、今年はそれもありませんでした。
それでも、第II部といえる 瀧田亮子さんのピアノ伴奏による家田紀子さんの素晴らしい、そして楽しい雰囲気のソプラノコンサートを楽しみ、第Ⅲ部では珍しい本場のパレスチナ料理をいただいて、帰る頃にはすっかり心はゆったりしてしまっていました。
この「友好の夕べ」は、友人がやっているNPO法人「聖地のこどもを支える会」が主催しているもので、例の3・11以来、東北地方の被災地にイスラエル・パレスチナの青年を日本に招き、日本人と一緒にボランティア活動を通して「人間は平等」を体験してもらうもののようです。
今までも問題がなかったわけではありませんが、「今年は厳しい状況の中でこの活動が行われるでしょう」「99%はなんとか行くと思いますが、残りの1%に賭けています」という厳しい決意の言葉を述べていた主催者の態度に決意の程度が伺われました。
それでも、美しい音楽と美味しい食事に酔っていた(?!)私は、その時は、何もあまり深く考えないでいました。
ところが、翌日の新聞を開き、愕然としました。
「イスラエルは良い気持ちの中で今日も安楽に過ごしている」
「パレスチナは悲しみと痛みの中で今日も苦しんでいる」
あんな素敵な音楽を聴いて、あんな美味しい料理をいただいて・・・ 罪悪感のようなものを感じました。そして、さらに、2年近く前に訪れたイスラエル・パレスチナの情景がまざまざと思い浮かんできて、胸が痛みました。
「平和の架け橋」として働いている人たちがいます。協力する人たちがいます。
私は自分の小ささをますます感じます。でも、小ささに潰されないで勇気と力を持って立ち上がって行かなければ何も変わらないでしょう。
私たちができることを示して、教えてください。
♪ 平和を祈ろう エルサレムのために
♪ わたしたちの 兄弟、 わたしの 友のために ・・・
プロジェクトの成功を祈ります。
イエスの聖心に捧げられた6月もとっくに過ぎ、7月もあと10日を残すだけになってしまいました。
6月中に書きたかった記事です。「季節感」(?)は薄れたかもしれませんが、信心の温度は変わらないでしょう。
16世紀にヨーロッパからキリスト教が日本に伝えられ、宣教師たちと一緒にいろいろな文化遺産も持ち込まれました。いろいろな像、十字架、音楽、絵画などなど。
ここに紹介するエピソードは、日本においてより、外国で有名になっているようです。いつか、「聖心」で検索したらどれもこれもこのエピソードを紹介していたのに驚きました。(外国語でしたが) そして、私自身、このエピソードを知らなかったのでとても新鮮に感じ、他の人にも知らせたくなったのです。すでに、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、日本のキリスト教の歴史の1ページにこのようなエピソードがあったというのはとても美しく、素晴らしいと思い、ここに紹介させていただきます。
1597年に日本国内で行われたキリシタン迫害は実際、実にひどいものでした。一週間のうちにすべてのカトリックの施設は破壊され、ほとんどの宣教師は逮捕され、信徒たちは散らされ、または迫害されました。小田原では、二人の司祭が捕らえられ、たくさんの美術品が押収されました。
ツカモトという役人はたくさんの美術品の中から一枚の奇妙な像が描かれている絵を手に取りました。
心臓が外に出ている(描かれている)!! これは何だ! ツカモトは学者で実際的な人間で、研究熱心な人間でした。しばらく、イエスの透けて見える心臓の絵を見ていましたが、ゴミ箱に捨ててしまいました。
しかし、夜になって彼はこの像には必ず何かの意味があるに違いないと思い直し、捨てた絵をもう一度ゴミ箱から拾い出して、テーブルの上に置いて考えました。
夜中になっても、役人は一人で、この像の前でじっと動かないでいました。明け方近くになってようやく、絵の下に書いてあった毛筆の文字を見つけて静かに頷いてため息をつきました。
そこには、 対外友祈心 対内無心者 と書いてありました。
彼は、イエスの聖心の絵を、丁寧に机の上におきました。
ある日、一人の友が来て質問しました: 「邪教の絵を気に入ってしまってどうするんだい?」
役人は答えました。 「君の言うとおり。帝政の側に立つものとして抗議する勇気は持たないが、文化や人間性から私はこの絵を気に入っている。この絵がキリスト教のすべてを語っていると思わないか? 彼が考えているのなんだと思うかね? 人々にとってはただの他人だが、私にとっては、それは心だ。
彼らは心を外側に表現した。 それは、心の全てでもって社会奉仕、有益な生活をもたらすためだ。
彼にとっては無私の犠牲。利己的なエゴのために殺される自分のことは全く心配しない。
そして、「内」、すなわち自分に対しては全くの無心。そのために、彼らは心臓を外側に描いたのだ。
その意味は、自分の心は社会に生涯奉仕し続けるためだということだ。
もう、自分のことには煩わされないで、生涯人々のために仕えるための「心」なのだ。
この絵は、佛の慈悲の完全さ、儒教の寛大さ、老子の無私無欲、神道の勇気などよりもっともっと深いものを示している。
人類に奉仕し、人類と自分自身を愛し、自分自身を忘れ、自分の興味に気を取られない宗教の教えの「実り」は誠実さなのだよ。」
(注記:文献によれば「小田原」という地名は出てこない。ツカモトが誰なのか不詳。)
時間に追われていつもブログを書くのが遅れてしまいます。
「ブログは?」 「更新しましたか?」
と聞かれると、本当に申し訳ない気持ちになりますが、こればかりはどうしようもなく。。。
さて、先日のことですが、(12月16日-日-)に、有楽町のよみうりホールで千住真理子さんのヴァイオリンコンサートがありました。
チャリティーコンサートで、社会福祉法人慈生会、ベタニアの家が徳田保育園改築支援と福島の子どもたちの保養支援のために行ったものです。
友人・知人が慈生会と親しい関係上、チケット販売にも協力しましたが、幸いに完売したそうです。すごいですね。
そして、・・・
当日のことです。
コンサートを聴きに行った私の友人たちはみんな、例外なく感激して少々興奮気味でした。
80歳近い高齢のKさんも、コンサートを聴きに行った一人でした。
友だちとホールの入口で待ち合わせをしていたそうですが、入場者の数が多くて、7階にあるホールから1階にまで階段で行列を作っている状況だったので、お互いに携帯電話で(こういうとき便利ですね) お互いの居場所を確認し合って、先に入った人が席をとることにしたそうです。
Kさんの方が先に会場に入れたので、まず席を確保し、ホール入口で友だちを待った、と言います。
無事に落ち合うことができて、二人ですばらしい音の饗宴をわかちあったようです。
気のあった友だちと好きな ~それもすてきな~ 音楽の生演奏を思いっきり堪能して大満足のようでした。
アンコールもあったそうで、感激していました。
鳴りやまなかった拍手のようすも話してくれて、Kさんの話はとても臨場感にあふれていました。
そのあと、何をしたのか・・・ わかりませんが、、、
たぶん、、、、、 ふたりで 素敵なカフェにはいって、 ゆっくりと 至福のティータイムを過ごしたのではないか、と想像しました。
そんな風に想像をかきたれられるぐらい、Kさんの話は その日の外出を思う存分満足したようすで満たされていました。
12月に入って、何かとせわしく忙しい日々を送っていた私には、80歳に手が届きそうなKさんの話を聞いていて、年齢を感じさせない、あるいは、その年齢だから「素敵に感じる」のか、とても新鮮かつ美しく、何か手のひらの上に載せられたダイヤモンドの粒を飽きもせず見つめているようで、私にとっても 何か安らぎを与えてくれました。
素敵な時間。
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