旅行・地域

2017年1月 6日 (金)

寂しいのか・・・ 静かなのか・・・

まいとし、お正月を迎えるたびに なんともつらそうな声を思い出します。

仕事場(会社・工場)は休みに入り、学校も行かない。何となく手持無沙汰で家の中にごろごろとしているベトナム人たちの  

「日本の正月は さびしいね」

という言葉です。

ベトナムでは、お正月は準備の段階からにぎやかですね。これは少し前の日本でも同じ空気が流れていたと思います。

ひとたび、元日の朝を迎えると空気は一変するように感じます。日本(特に私は東京しか知らないのですが)では、町の中はし~んと静かです。それが、ベトナムの(特にホーチミン市だったら)町だったら、玄関を開けたら まるで「飛び込んで」来るような勢いでバイクの走る音、車の音、物売りの人たちの大きな声が耳に入ってきます。

「日本の正月はさびしいね」というベトナム人に、わたしは ベトナムの喧騒を頭に置きながら、「あのね、これは、静かっていうのよ」と言い、

「ベトナムの正月は楽しいよ」というベトナム人に、私は同じようにベトナムの喧騒を頭に置きながら、「あのね、あれは、うるさいって言うのよ」と言いながら、

故郷を離れて、その国の人たちが異国で味わう「祭り」の持つ意味の深さと重さを今になって理解できるようになったのかな、と思いました。

「静かすぎるよ~~。寂しいなあ、日本の正月は!」

この言葉の後ろに、彼らの暖かい家庭・家族を垣間見ることができるようになりました。

2016年12月29日 (木)

冬になったな・・・

今日、しばらく前に、「送ったから」と言われていたものが、ベトナムの「お父さん」から届きました。

しょうがのお茶 (Ginger Tea):Dscn6611
 しょうがに茶葉が付いているわけではないのでお茶の中にショウガの粉をブレンドしてあるのか、しょうがの粉(?)で作ってあるのかパックの中を分解していないので何とも言えませんが、いかにも体が温まりそうなお茶です。

もう一つの箱は黒ゴマ(30%)とハスの実(10%)をそれぞれ砕いたものに軽くとろみと甘みををつけたバニラ風味の「おやつ」。

カップ(器)に1袋を入れて120ccほどの熱湯を入れてよくかきまわして飲む。フウ、フウ言いながらスプーンでいただきます。夏だったら入れる熱湯を60ccに減らし氷を入れて飲むことが出ます。

ベトナムには中国の影響でしょうか、自然食から栄養を見直す食文化が豊かですね。
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今、これを書きながらしょうが茶を飲んでいますが、のどにひりりと来るところなんて、まさに、私ののどがすでに「埃」にやられている証拠でしょう。

ベトナムにいたころは、ちょっと体調を崩すと、特にこの季節、必ずと言っていいほどこのしょうが茶と片栗粉(日本みたいにきれいな粉になってません)が届けられて閉口したのを懐かしく思い出します。

ベトナム人は、自分の家族はもちろん、知り合い、友人をたいせつにするのでちょっとでも私が体調が悪い(風邪っぽいとか…)と聞くと、その日はもちろん、あるいは翌日・・2,3日はこの種のお見舞いで私の部屋はいっぱいになります。

今日は、そんな昔の日を思い出させてくれるプレゼントが届きました。

2016年2月24日 (水)

MYさんの映画感想 ==トゥイーの日記-燃やさないで!

映画「トゥイーの日記」が新橋で上映されました。ベトナムの楽器を習っていてベトナムに興味を持っていると思われるM氏に声をかけてみたら、前から知っていたような感じで「見に行く」と言われたのには少々驚きました。


そのあと、facebook に載ったご本人の感想を読んで「あぁ、なるほど」とうなづけるところがたくさんあったので、ご本人の了解をいただいて、ここにシェアさせていただきます。

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「津山と世界を結ぶ会」が上映した映画を見た
 人ごみの嫌いな私が会場で映画を見るとは思ってもみなかった。先生からその存在を教えていただいただけではない、何か予感があったのかもしれない。

 トゥイ―とは1970年に戦場で20代の若さで銃弾によってこの世を去った従軍医師。その野戦病院の跡で見つけられた彼女の日記をアメリカ兵フレッドが 手にすることから物語は始まる。情報的に価値のない日記だが従軍していたベトナム人通訳が「それを燃やしてはいけない。それ自身の中に炎があるんだ。」と 言って日記は残った。その言葉がこの映画の題名となっている。


 映画は彼女の日記の内容とそれを読むフレッドの心の変化を追っていく。フレッドは日記の中の炎、つまり一人の女性の命のきらめきに魅せられていくととも に、自分たちの銃弾が当たっているのはただの的ではなくて人間なのだということを悟っていく。

映画の終盤で、軍人なってイラクの戦場に行く姪にフレッド は、いちばんいいことは銃を撃たないことなんだ、という。

 日記は2005年にフレッドからトゥイ―の遺族のもとに返された。

 

村山 良忠さんの写真
村山 良忠さんの写真
村山 良忠さんの写真

ベ トナム戦争の時代にぼくは育ちました。子ども心にもそれは鮮烈なものだったのです。


1967年の春、中学の卒業式で卒業生代表として挨拶したぼくは、「私 たちは中学校を卒業して希望に燃えて新しい道に一歩を踏み出していくけれど、この瞬間、ベトナムではその一歩を奪い取られる子どもたちがいる、そんな世界 にぼくたちは生きているということも忘れてはいけないように思う。」と言って叱られちゃいました。


トゥイ―の現存する日記はその一年後に始まり、その3年 後に終わります。ぼくは、自分のこの問題提起に何も答えられないままです。


世界もあいかわらず、どこかの戦争の同時代で、一歩を奪い取られる子どもたちを 生み出しています。この世界の優秀な頭脳が、いかに罪の意識を感じることなく人を殺せるかという技術の開発に挑戦するのではなく、戦争によらないで問題を 解決するという困難な課題に取り組んでくれることを祈ってやみません。≫

2015年4月21日 (火)

世話をし、世話をされることのよろこび

20120101_0814231 ベトナムの私の大切な友人Kさんから写真付きのメールが届きました。
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Kさんはしばらく前に職を失い、それと同時に今まで仕事を通して出来ていたたくさんの友人たちからも疎遠になってしまって、心身ともに疲れ弱っていました。

遠い日本からは何もできないもどかしさを抱えながら、Kさんのために祈っていました。そして、私のベトナムにいるベトナム人の友人たちに、Kさんとコンタクトを取って力づけてあげるように頼んでいました。

たまに、メールでのやり取りはしていても、心が疲れていると、メールさえ書きたくなくなります。その気持ちはよくわかるのですが、音沙汰がないと、これまた心配です。

そんな矢先、Kさんの友人の一人が 何種類かの植物の苗をプレゼントして、朝晩水をやりながら世話をするように頼んだそうです。

そして、これがその結果です。
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Kさんが朝、晩 水をやって世話をしたその結果です。

立派な実・花をつけた植物も嬉しかったでしょうけれど、Kさんが一番うれしかったと思います。

お世話する相手がいる、、これはなんて大切なことでしょう。どんなもの、どんなことでもいい。自分でお世話できるものを探せたらいいですね。20150402_0807591

私の友達Kさんは、本当に喜んで写真を送ってきてくれたのです。

世話をし、世話をされることの大切さを教えてくれたようです。

2015年3月21日 (土)

その心

先日、昔の教え子に会う機会がありました。

スタバ(スターバックス)で、彼女はあたかも、ここもベトナムだ、とでもいうように アイスコーヒー、うすら寒さを感じていた私はホット・ココアを飲みながらいろいろなことを話しました。

そんな中で、何がきっかけになったのか忘れましたが、彼女がおもむろに私に見せてくれたものがありました。

それは、日本語でどう呼ばれているのかわかりませんが≪献体認定カード≫でした。日本ではたぶん≪献体登録証≫と言われているものだと思います。

「先生、私は献体したいので申し込みました。ホーチミン市の医薬大学です。私が死んだら、このカードを見た人は私を医薬大学へ運びます」ということでしたが、「死んだときにこのカードを見た人は・・・私を医薬大学へ運びます」という言葉に、ふと、交通事故の多いホーチミン市だから・・・という考えが浮かびました。病院あるいは家で死を迎えることが多い日本の社会に住んでいる私の反応でした。

「日本では家族全員の承諾が必要なのよ。あなたのおうちでは大丈夫だったの?」と聞いたところ、大病を患った母親にはまだ言ってないが、父親には相談し、了解を得ていると言っていました。

まだ若い彼女が、どんな気持ちで≪献体≫を決心し、また、実際に申し込んだのだろうと、とても気になり知りたくなりましたが。。。その時には聞く勇気がなく、ついに聞きそびれてしまいました。


日本では一時献体数が不足して困った時期があったようなのに、東日本大震災以降、「自分の死に関心を抱くようになった」という人が増えて、献体する人が現れ始めたということです。

彼女の心の中にはどんな思いがあって、この選択の決心を実行したのでしょう。

いつも、「人のためになる」ことを喜んでしている彼女は、ホーチミン市から200キロほど離れたところにある養護施設にいる二人の子供を養子にして育てています。今年のテト(旧正月)にはこの二人の子供を自分の実家にも連れて帰り、家庭の味を味わわせているようすをフェイスブックに載せていました。


暖かい家庭で愛されて育ってきた彼女は、弱い人、小さい人に対してとても敏感です。その受けた家庭環境のおかげで彼女と触れた人はみんな幸せを味わわせてもらっていると思います。

ここまで書いてきて、彼女が≪献体≫を決心した理由がなにか読み取れた気がしました。

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2015年2月 5日 (木)

啓翁桜 

先日、ダン・バウの生徒の一人Gさんが、演奏に使用するピックを「いろいろな素材で作ってみました」 といって何本かのピックを披露してくれました。

ピックに、「ばら」 とか 「さくら」 とか書いてあったので、 「これ、 何ですか?」 と聞いたところ、ピックの素材だということでした。

カイ・チェ あるいは水牛の角を素材にしたピックしか知らなかったので それこそ、
 「へえぇ!・・・」 という感じでした。 音はどうなんでしょうね。

楽しいことをする方だな、と思っていたら、次のレッスンの時に、楽器と一緒に楽器と同じくらいの箱を持っていらっしゃいました。

Sakura21_481 箱には ≪啓翁桜≫ と書かれていました。 山形の桜です。

(去年の)春に咲いた桜の花が終わったら(いつ頃なのか肝心なことを忘れました) 大体の長さにそろえて桜の枝を切ります。そして、寒い冬の間雪の中に寝かせておくんだそうです。

そして、今頃、雪の中から桜の枝を取り出して「室」の中に入れて一気に温めると、まるで桜が驚いたように、花を咲かせるんだそうです。

枝の切り口は湿らせてありました。
水切りをして、花瓶に生けて暖かいところに置けば桜の花が咲く、というわけです。

東京では見たことがなかったのですが、やはり、箱から出した後の世話がそんなにやさしくないので東京までは出荷していないようで、もっぱら地元への出荷だそうです。

真っ白な深い雪の中に何か月も寝かせられていた桜の枝が、凍って死んでしまわないところがすごいと思うし、想像しても神秘的ですね。真っ白な雪の中の桜の枝についているつぼみが、どういうわけかすでに 桃色 であると、心の目に見えてしまう感じです。

早速、箱を開けてみたら小さなつぼみをびっしりつけている枝が何本だったのでしょうか、たくさん入っていました。

日当たりのよい部屋に活けました。この部屋は、夜間電力のおかげで夜でもほんわりとSakura27_487 あったかいのです。

翌朝、食堂に入った私たちは思わず歓声をあげました。ちゃんと水揚げしていたのでしょう、すでにいくつかの小さな花がほころんでいました。

それからは、毎日、毎日増える花の数に感嘆しながら桜を楽しんでいます。

そのうちに、不思議な現象に気づきました。花の数が増えるにしたがって枝が窓の外、すなわち太陽の方へ向かって動くのです。私たちの目を楽しませるために、花が室内に向くように活けても、いつの間にか太陽 -自分たちの生みの親- へ向かって花開くのです。

特殊なカメラを桜の傍に据えておいたら、きっと、枝の動きもわかるのでしょうね。
大自然の神秘的な営みに 創造主神さまのユーモアあふれる愛を感じないわけにはいきません。
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2014年10月23日 (木)

"もう少し落ち着いて・・・”

827日、先に出発しているメンバーとホーチミン市で合流するために1725分成Dscn4346_058 田発のNH931便でベトナムへ行きました。20年来、何度となくベトナムを訪問・旅行してきていますが、今回初めて、旅行に先立ってネットでチケットを購入、座席指定をし、オンラインチェックインをしてボーディングカード(パス)まで手元に入手して空港に向かうという、私としてはいろいろ初めての経験をしました。

 

チケットを購入し、飛行機が飛び立つ時間を確認して空港宅配便の手配をしました。空港での荷物引取りはいつものように出発2時間前の時間を指定し、宅配会社に荷物を預けて、一仕事終わったような気分になってホッとしていました。

そこへ、搭乗時間24時間前にチェックインした知らせが届いたので送られてきたボーディングパスをプリントアウトしました。注意書きを読んだら、搭乗時間1時間前までに空港へ行けばよいことがわかったので、今度は自分の自宅を出る時間を調べるため、ネットの「路線検索」を使って成田空港に着かなければならない時間から逆算して自宅を出る時間を決めました。

遠方へ行くときのいつもの癖で、私は少し早めに家を出ました。まず最寄りの駅で、調べておいたのよりも少し早い電車に乗り、上野で京成電車に乗り換える時も、調べておいたのより1本早い特急がホームに停まっていたのでそれに乗り込みました。

電車が走りだし、一息ついたところでおもむろにチケットを取り出して下車駅と時間を確認して驚きました。

なんと、私が下調べしておいた電車は、私が乗る便の出発時刻に成田空港駅に到着することになっていたのです! 

でも、まだ実感がわかず、成田空港駅で下車してのんびりと出発口に向かってエスカレーターを登っていきました。荷物を引き取りに宅配サービスの窓口に行って、やっと目が覚めた思いでした。係りの人が私の姿を見るなり、≪お客様の荷物はすでに搭乗口に運ばれています≫というのです。

やっと、事の重大さに目が覚めました。チェックインカウンターはすでに、人気がなく係りの人の姿も見えません。少し焦り気味になった私は誰でも構わないと思って事情を話しました。そのあとは、息が切れるほどに急がされて飛行機のタラップの下へ案内され、そこで私の荷物の確認がされ、やっと機内へ入ることができました。幸い、最後の一人ではありませんでしたが、遅刻の一人でした。早め、早めの電車に乗ったから間に合ったのでしょう。

 

91日、他のツアー参加者と別れて別行動のためにホテルを後にしました。新しいところについて何気なくバッグを開けて、あっ!パスポートがない! 今しがたまでいたホテルに置いてきてしまったようです。

幸い一緒にいたベトナム人の友人に取りに行ってもらいましたが、気づかずにいて帰国しようと空港へ行ったら大変なことになっていたと思うと、冷や汗でした。

無事に飛行機に間にあってベトナムに着いたし、パスポートも手元に戻って帰国することができましたが、もう少し落ち着いて準備・行動したほうがよかったでしょうね。私の今年のツアー参加の反省です。
(ジャパベトナムの会報≪チャオ・ベトナム≫掲載分)

2014年9月23日 (火)

懐かしい再会

今年の夏、ホーチミン市のとあるカフェで、すでに高齢の域に入っている元日本語教師と、大学生活4年間をこの先生と一緒に過ごしたその頃の学生有志が集まって談笑していました。

この、元日本語教師は私のことで、大学1年から卒業する4年までずーっと、同じクラスを持たせてもらった珍しいケースで、学生間はもちろんですが、教師である私との関係も一段と密な気がします。4年間一緒だったので、名前を覚えるのが苦手の私でも、流石にほとんどの学生の名前と顔が一致します。

実は、昨年も連絡の取れた人とだけ、ホテルの近くのカフェでおしゃべりを楽しんだのですが、今年は、もう少し広く呼びかけて、こられる人が集まってくれました。

不思議なのは、卒業後すでに14,5年経っているのに、年をとったのは私だけで、元学生たちは、そのまます~っと教室の中に入ってもおかしくないぐらい変わっていないように感じたことです。

めっきり頭に白いものが増えたにもかかわらず、学生たちも、私には「先生、同じですねぇ」というのです。

子供連れのひともいたし、とてもフランクにごく自然に和やか、かつ楽しく3時間ほど過ごさせてもらいました。

こういうことって、暖かい心から生まれる、なんと表現したらいいのでしょう、人間だからできる素晴らしい行為ですね。

友だちに呼びかけてくれたDさんをはじめ、集まってくれた懐かしい「顔、顔、顔」に心から感謝。

楽しかった。ありがとう。

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2014年6月 4日 (水)

六月の花嫁 June Bride

あ、あぁぁ、あぁ・・・・ いつの間にか6月になっていました。

紫陽花の花がひときわ美しく映える6月の雨、なんていうものはなく、真夏日が続いている最近ですが、ベトナムのTHさんから 《今週末に結婚します》 という連絡をもらって、どういうわけか突然6月を意識してしまいました。

六月の花嫁 というイメージぴったりの、わたしもよく知っている ベトナムの高原を舞台にした二人のウェディング姿の写真を見たからでしょうか。

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さっそく、 「おめでとう」 と返事をしたら すぐに返事が来て、「明るく積極的な毎日を送りたいと思っています」 という 彼女らしい真っ直ぐで気持ちの良い返事が来ました。


夫の実家と妻の実家の両方で披露宴を行う、ベトナムの習慣そのままの結婚式のようで、披露宴に出たい人は連絡すれば、まだ席を作ってくれるそうです。


ここに見られる おおらかさと精神的なゆとりに 羨ましさ を感じるのはわたしだけでしょうか。

自分の限界をかえりみず、「我を忘れて」 人の中へ飛び込んでいったり、人と交わることに疲れない・・・ こんな姿にとっても惹かれます。

人々と共に (結婚式の) 喜びを分かち合うために 人々を招き、あるいは人々が来たいままにさせます。

これって、まさに イエス様のなさったことではありませんか。



私の日々の生活でどんなふうにしたらこのイエスの姿を再現できるのか考えさせてくれたTHさんの結婚案内状でした。

THさん、結婚おめでとう 

2012年11月25日 (日)

きれいなボールと神さま

ベトナムの首都ハノイで子育て真っ最中のCさんから聞いた話。

かわいくて、感動したので分かち合います。



Cさんは30代のベトナム人で、以前に何年か日本に住んでいたことがあってそれ以来のとても親しい友だちです。

先日、久しぶりに会う機会があったときに、「子供を育てる苦労」の話をしていたら、こんなことがあった、と。。。。。


『ある日、長男 T (4歳)が幼稚園から帰って来たとき、いつものようにTの荷物をチェックしたんです。そしたら、バッグの中から見慣れない小さなきれいなボールが出てきました。私は、Tが幼稚園のボールを持って帰った、と直感しました。

何気なくTに聞きました。

「このボールはどうしたの?」
「先生に貰った」   私は《これはうそだ》と分かりましたが、

「じゃ、先生にお礼の電話をしましょうね」と言いました。

Tは、「先生に電話しないで」  と頼んだので、、その時はそのままやり過ごしました。


夜、寝る前に、うちの家族は一緒に祈る習慣があるので、その日も、子どもたちと一緒に祈りました。

私は、きれいなボールをくださった先生に感謝する祈り、また、人のものを自分のもののようにしない、というようなことを祈りの言葉の中に入れて、その日の祈りを終え、私は子どもの部屋を出ました。


しばらくして、T が私の部屋に入ってきました。  そして言ったのです。


「ママ、ごめんなさい。 あのボールは先生がくれたんじゃなくて、ぼくが持ってきてしまったの。神さまは僕を許してくれるかな?」


私は彼を抱きしめました。



夜、家族で一緒に祈る寝る前の祈りはとても助けになりますね。』

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