音楽

2017年1月 2日 (月)

片づけも断捨離   

何か月かに1回、そして、できれば1年に1回、身の回りを見渡して「断捨離」を心がけているのが最近の私。


ここ数か月かけて、部屋の中、クローゼットの中、机の引き出しの中、戸棚の中、本棚、、、と目を光らせ、心をなるべく冷静に保ちながら整理を続けていました。


本棚とか、棚の上などはすぐ目に入るので片づけやすいのですが、意外に難しいのが机の引き出しの中…

また、工作が好きな私はきれいな紙や、封筒、シールなど、はたまたきれいな包装紙など、ついため込んでしまう癖があるので、これらと「さよなら」するのは時間が必要です。

それでも、12月31日までには大体整理ができて心(気持ち)も楽になりました。


さて、一番大きなものが「楽器」です。

もう、だいぶ前から、「しまおう」と決心してはいたのですが、「いざ」となると、気分転換に音を出したくなるんじゃないか、とか、たまには触りたいよね、とか、いろいろ〈思い〉の邪魔が入って踏ん切りがつきませんでした。


それが、今朝、どういうわけか、     
かたづけました

柔らかい雑巾で楽器のほこりをふきとりながら、「ありがとうね」「ありがとうね」と何回もつぶやきました。私のもう一つの「心」でもあった楽器です。

ねじを外し、柔らかい袋に入れてからケースに収めました。楽器の台もセットでしまうので次に使うときには問題がありません。Dscn6252rr_2


ケースにしまいながら… 『やっぱり寂しいもんだなあ』

絶対、楽器にもう一度触りたくなって、下手でも音を出す時があると思う・・・そのときのために、付属品 (アンプ、シールド線、弦、調音器、そして楽譜)は一緒のところに置きました。


長い間の「心の友だった」楽器だったので、 片づけるって

やっぱり,寂しいもんですね。

でも、そこに場所ができました。 
「陽のよく当たる場所」です。




2014年12月 2日 (火)

トルン演奏

先日、ジャパベトナムのチャリティーコンサートで、小栗久美子さんのトルン演奏を聴いてきました。

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いつも感じるのですが、今回も≪音は人を表す≫ことをつくづく実感しました。

小栗さんの人柄がよく表れていて、聴き終ったあと、爽やかさが残り、ほっとし、心躍る気持ちになったり、心が満たされる感じになるのは私だけではないようです。他の方からもよく聞く言葉・印象です。

小栗さんとトルンの相性がいいのでしょう。

トルンの音色そのものも、とても単純な印象です。

ポクポク、ほくほく、カタカタ、そして、トルルル~~ン。

楽器の材質が竹なので、音そのものも単純で温かい印象です。

同じ叩く楽器でも、木琴のように詰まっている材質ではなく、竹筒を縦斜めに割ってあるので楽器そのものの中の空気の振動が何とも言えない柔らかな音として響きます。

今回は、10月にリリースされたというCDの紹介もありました。ベトナムで、ベトナム人とのコラボレーションです。

15年近く前に、トルンではありませんがベトナムの楽器を、やはりベトナムでベトナム人と合奏させていただいて「遊び心で」CDを作ったことのある私には、この小栗さんのCDから響いてくる楽器の音色は、程度には雲泥の差があるものの、何か親近感のようなものを感じさせてくれました。

聴いていると、ベトナムの≪竹と土≫(あの竹藪、あの赤土の小道)が目の前に広がってくるようです。

楽器の音色には、その楽器を演奏している人の霊が宿っているというか、その≪音≫の中にその人自身がすっぽりはまっている気がします。

だから、同じ曲でも、演奏する人によって味わいが違っているし、表現が違っていますね。

演奏する人の感性と聴く人の感性が合ったときは、表現された≪音≫はとても満足感を感じて嬉しいんじゃないかな、と思います。

もし、≪音≫に感じることが出来る能力のようなものがあるなら…
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                       小栗久美子さんの2枚目のCDのカバーです

2013年12月 7日 (土)

ピース・メーカー

いつも思うのですが、音楽は人と人、国と国を一つにする力をもっているように思います。

少し前に、テレビで素敵なプログラムをやってました。
イスラエルとパレスチナだったと思います。何となく睨み合っている両国ですが、人びとは、人と人としては「睨み合って」いるわけではないようです。

一人の日本人の指揮者が両国から音楽家(演奏家)を募集して一つの楽団を組み、『一緒に』練習し、『一緒に』各地を回って公演している、というのです。

音楽には不思議な力があります。人びとの憎しみ、恨み、怒りを鎮めてくれます。

もし、そうしないと、音楽は音楽にならないでしょう。

それが一つのオーケストラであればなおさらのことです。

みんなで、一つの作品を作り上げていくのですから…

そんなことも手伝ってか、私は個人的に、楽器にせよ、声楽にせよ、ソロはあまり好みではありません。

自分が楽器を演奏する時も、相手が一人であっても、「合奏」するときの何とも言えない嬉しさ、喜び、満足感、達成感、充実感、そして・・・心は安らぎます。

学校教育で、もっともっと音楽教育に力を入れたら、心のためにとても役に立つだろうと思うのですがいかがでしょう。

ベトナムの友人から下のような珍しい写真が送られてきました。
 
     

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  ベトナムの伝統楽器と合奏するフランスのジャズバンド。
      どんなコラボになったのか聴いてみたかったです。

2013年12月 5日 (木)

ベトナム人共同体のセシリア聖歌隊

先月(11月)16日(土)に、ラ・ヴァン ベトナム人共同体(東京近辺)のセシリア聖歌隊設立30年を記念し、お祝いする集いがありました。

毎年、11月半ばの土曜日に21日の聖セシリアの祝日を記念してお祝いのミサとパーティーがありますが、今年は30年前にさかのぼってのお祝いで盛大でした。
当時の聖歌隊員はボートピープルと言われて日本に入ってきたベトナム人でした。

後に東京教区の司祭になったディンさんが立ちあげたんだそうです。その頃は、品川にあった「品川国際救援センター」という難民(ボートピープル)のための一時収容施設の住民でもあった神学生のディンさんが、月1度捧げられるベトナム語のミサのために仲間を集めて結成されたのが始まりです。

その後、ディンさんは東京教区の神学校に入り、司祭になります。

ディン神学生の後、なんと6代にわたって指導者・指揮者が続いて現在にいたっているのです。

この日は、すでに外国(第三国)へ出てしまっている人たちを除いて、殆どの方が顔をそろえていたように思います。

素晴らしいな、と思ったのは、若い人がどんどん続いていることです。そして、人間だけではなく、典礼に使われる音楽自体、進歩・発展していることです。

聖歌隊の伴奏にベトナムの楽器だけでなくバイオリンやチェロなどの洋楽器を取り入れた楽団編成を組んだりして、大祝日などにミサに出ると聖歌隊の存在だけでとても荘厳な気持ちにさせられます。

もともと音楽の好きな国民なのでしょうが、若い世代の発想にはいつも感心させられます。

典礼は、各国の特色を出してこそ、典礼の意味が生きてくるというのは、彼らのミサに出て本当にそうだな、と思います。


いろいろな人の祝辞の中に、「50年後のセシリア聖歌隊」という言葉が良く出てきました。
これからますます外国人が増えるであろう日本の教会の中で、典礼を生きいきさせる大きな役目を担っている聖歌隊が、日本の教会を刺激して発展していくように祈ります。
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             これは、関係者に記念として贈られたクリスタルの置物です

2013年11月25日 (月)

楽器と向き合う姿勢

Jv2013011 つい先日、好天に恵まれた11月23日、東京四谷の岐部ホールで毎年開かれる「ジャパベトナム」のツアー報告会と講演・演奏会がありました。

講演と演奏に、ベトナムの民族楽器トルン(竹琴)奏者の小栗久美子さんが来てくださいました。

講演では、トルンとの出会いから始まっていろいろな人々との出会い、楽器についての思いなどスライドを交えながら、心をこめて話してくださいました。

そして、いよいよ、トルンの演奏。トルンはT'rung と表記します。ベトナム中部の中でも少し南に位置するタイ・グェン省の少数民族にとても古くから伝わる竹の楽器だそうです。音色が美しいことから、ハノイの音楽家等によって改良が重ねられて今の形になったということです。
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小栗さんの話の中で良く出てきた表現に、楽器に対する思いがありました。

さまざまな体験を通して、「わたしはこの楽器を、遊びに使ってはいけない(単なる趣味に使ってはいけない)、また、商売の種にしてもいけないと感じるようになった」というようなことをおっしゃっていたように思います。

楽器に対するその姿勢に心打たれました。

会が終わって、和やかにお茶とお菓子を楽しんだ後、あちこちで聞かれた声:「すごいね、あの音。」「魂が入っている」「本物のプロだね」などなど・・・ 本人が体調を崩していたとは思えないその姿勢にも感心しました。

久しぶりに、マイクを通さないで楽器の生音で演奏を聴けたこともラッキーでした。

そして、何よりも私は小栗さんの楽器に対する姿勢に心打たれ、彼女がもっと素敵に見えました。

こんな演奏家に弾いてもらえる楽器(T'rung)は、幸せものですね。
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2013年8月 5日 (月)

この淋しさは何?

1週間ほど前、ベトナム人のKさんから電話がありました。

「Tさんの楽器を借りてもいいですか?」


まるで、 わたしが楽器に触っていないのを知っているからだよ、とでもいう風でした。

わたしは、楽器を2台持っていたので、ふだん使ってなくて、生徒に貸し出し用として使っていたものを思い浮かべて、

「いいですよ」

と答えたら、次に、

「売ってもいいですか?」ときました。


最近の生徒は、楽器はあるけど音が出せない、とレッスンに見える方がほとんどなので、これからも「貸し出し」はないだろうと思って、

「いいですよ」

と答えてしまいました。


楽器そのものは、見かけによらずとても良い音を出してくれる楽器でした。


生徒に貸し出し用として使う前は、もちろん、わたしが使っていたものです。

そして、

日曜日、ケースのほこりを払い、楽器に必要なピックと予備の弦をケースに入れて・・・

        お 嫁 入 り

Kさんの手に渡った楽器を見たら、楽器が泣いているように見えました。
あんまり触らないで、部屋の隅に置かれていたのも淋しかったと思います。

楽器に心か魂があったら、きっとこんな風に感じたんじゃないかな、と思いました。


そして、Kさんとの別れ際に楽器に向かって

『幸せにね!』と、つい声をかけてしまいました。そして、その時、わたしの胸が震えるのを感じました。

           「淋しい・・・・・・」


「この淋しさは何?」

こんな感じを覚えたのは、初めてじゃなかったでしょうか。

今までろくに演奏に使ったこともなかった楽器なのに、わざわざ、自分のために手に入れた楽器だったから、気がつかないうちに愛着がわいていたんでしょうね。

この出来事は、わたしにとって、ひとつの「断捨離」でした。

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2013年7月13日 (土)

待っていてくれた楽器

つい先日のこと。

おおげさじゃなくて、ほんとに1年以上ぶりに楽器に触りました。

いつも、楽器に触れたいのでケースに入れず部屋に置いてあります。いつでも弾けるように・・・


楽器のそばを通る時、時々つま弾いてみることはあっても、楽器の前に座り、落ちついて弾くということはありませんでした。

それが、どういう風の吹きまわしか、「いつでも弾いてください」というように、黙って私の通るのを見ていた楽器につかまってしまいました。

楽器の前に座り、さて、さて、調弦しなければ全く弾けないだろうと思ってチューニング用の笛を吹きながら弦を弾いて、  おどろきました。   1年以上も触ってなかった楽器の弦は、全然調弦が必要なかったのです。 信じられませんでした。 楽器の上はほこりをかぶっていました。


やわらかいハタキと布で ほこりを払い、 音を出してみました。


使ってない手の動きが心配でしたが、きれいな音を出してくれて、この日は大満足。


でも、弦が全然くるってなかったのには  おどろきました。 1年以上経っていれば、いい加減弦が緩んでいてもおかしくないと思っていたのですが。


おかげで、すぐに暗譜で弾ける曲を何曲か弾いて、いい気持ちになりました。

神さまも、道を迷い出てしまった私たちを こうやって  忍耐強く待っていてくださってるんだろうな、と この楽器を通して 深く深く実感。  

決して変わらない  愛と謙遜 でもって、私たちが立ち帰るのを待っていてくださるイエスのすがた、 それを包み込むおん父神さまの愛を、何の変哲もない日常のちょっとした出来事の中に見せていただきました。

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2013年7月 6日 (土)

気持ち良い涙

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《イスラエル・パレスチナ・日本  
 友好の夕べ - 音楽とビュッフェのつどい》

に行ってきました。

これは、NPO法人 聖地のこどもを支える会 が主催した 『平和の架け橋 in 東北2013』プロジェクト支援のために行われた上原令子さんのゴスペルコンサートとパレスチナ料理を楽しむ会でした。

そして、そこで、感動して久しぶりに泣きました。 気持ちの良い涙でした。

このプロジェクトはイスラエルとパレスチナそして日本の若者をボランティアとして東北へ送る、というものです。

イスラエルとパレスチナが一緒に?  あり得ない。 というのがわたしの周りの人たちのほとんどの反応でした。


イスラエルの人もパレスチナの人もみんな平和を求めています。

プログラムの中で、昨年、東北(岩手県大槌町)のボランティアに参加した若者3人がイスラエルとパレスチナの若者たちと共にした体験を分かち合ってくれた時、かれらの素直な感受性に思わず感動して眼に涙があふれました。


そして、続いて行われた上原令子さんのゴスペルソングには圧倒され、心が強く、大きく揺さぶられ、礼子さんのトークの真実味と温かさに心打たれ、また涙。


中東和平へのメッセージを音楽に乗せて聴く人の心に訴えています。神さまの愛が底にゆったりと流れています。この平和への願いは、中東だけにとどまらず、世界中の平和へのメッセージでもあります。だから…こんなに心に響き、揺さぶられたんだと思います。

会場が暗かったら、もっと泣いていただろうと思います・・・


トークでは、礼子さん本人の恵まれない生い立ちから始まって、18歳で神さまに出会って決定的な回心を遂げたこと、その後は、自分の受けた恵みを人々、特に自分と同じような境遇にある(あった)人々へ歌を通して伝えて行くことがミッションになったと言っていました。

まさに、「心から心へ」響く歌でした。

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そして、休憩の後、パレスチナ料理をビュッフェスタイルで頂きました。東京神田にある『ア
ルミーナ』という高級パレスチナ料理店の協力だそうです。想像していた料理はもっと油がきついものでしたが、今晩のメニューはサラダもたっぷりあったし、ひよこ豆をふんだんに使った割合さっぱりした料理でした。


イスラエル大使が見えていたので、聞いたら、これは「中東の料理」だということでした。
イスラエル、パレスチナ、エジプトなど・・・国によってスパイスが多少違うんだそうです。



今晩はパレスチナからは大使が外国へ行っているということで欠席で、頂いたメッセージが読まれただけでしたが、イスラエルもパレスチナもこの法人「聖地のこどもを支える会」の活動にとても大きな期待を寄せているのがよくわかりました。



イスラエルからもパレスチナからも若者を集めて日本に招き、日本の若者と交流させている…そこには政治的な枠など一切ありません。 人間がいるだけです。


今日の会場にも、壁に日本の国旗をはさんで両側に両国の国旗が飾ってありました。


地道なところで、平和を実現するために働いている人たちがいる。決して安易なことではないと思います。


でも、平和への望みは『伝染』します。

平和を実現する人々は、幸いである。
    その人たちは神の子と呼ばれる。(Mt.5/9)


2012年9月28日 (金)

巣立ち

最近、自然界、それも鳥の世界でよく言われる「巣立ち」みたいな気持ちを経験しました。


私が趣味で始めた音楽を、珍しいから教えて、と乞われるままに教え始めて7,8年が経とうとしています。


生徒は若い人が多く、吸収が早いです。また、私がベトナムで習っていたころには考えられなかったいろいろなハイテクを駆使して研究しながら音を出している生徒たちです。

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当然、進歩は速く、わたしにとってはとても楽しみな時間でした。

ある時から、私は冗談半分で「そろそろ卒業してもいいんじゃない?」と言うようになりました。生徒を励ます意味もありました。

でも、私が聴くのも楽しみなくらい上手に演奏する生徒たちが来なくなるのは寂しくなるのは目に見えていました。


それでも、「時」はやってきました。


《卒業》した生徒たちは、それぞれ個々に他の音楽仲間とユニットを組んで演奏活動を楽しんでいます。


彼らの演奏を聞くと「育ててきた」充実感と喜びを感じるとともに一抹の寂しさを感じるのはなんなんでしょうね。


私たちを赤ん坊から育て上げて、ある時、親元を離れた時の両親もおなじような気持ちを感じたのだろうな、と思いました。


《卒業生たち》の演奏活動のニュースを耳にし、また目にする時私の心は複雑に揺れます。

《卒業生たち》を愛していたしるしだとも思います。


今後も《卒業生たち》がいろいろな場面で活躍してくれたら教えた甲斐があったということでしょう。

両親の思いに心を向け、感謝を新たにしたことです。

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2012年7月 2日 (月)

おじさん

音楽友だちのタイ人、アドゥンさんから「メール定期便」がとどきました。


とても心が和み、あたたかくなる文章なのでここに引用させていただきます。

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転ぶのは恥ではない。

転んだままでいるのが恥なのだ。

(ドイツのことわざ)

 

 おはようございます~~♥(*^^*)

昨日、インターナショナルフェスティバルin川崎で演奏しました。

聴きに来てくださった方に感謝します。

 

「交流しながら体験できる」というのがこのフェスティバルのコンセプトです。

おかげで、新しい友達ができました。

このコンセプトはいいな、

平和と直接つながるなと感じました。

 

とてもすばらしいフェスティバルだと思いました。

ところで、さっきベランダに出て、

深呼吸したら、あるおじさんを見かけました。

 

散歩しながら、ゴミを拾っていました。

普通なおじさんのはずの人が途端、偉い人に変身しましたね。

 

その光景を見て、励まされて、

力がわいてきました。

 

おじさん!!ありがとう~~~!!

 

今日も笑顔でがんばろう~~~~♪♫•*¨*•.¸¸¸¸.•*¨*•¸.•*¨* •♫♪

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